経集 109 110

109 「第九のかの敗亡者は、これ斯の如しと我等は識れり。第十をば世尊は語りたまへ、何が敗亡者の敗亡への門なりや」。南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 六 敗亡経 四十頁)
第九の没落者が仰言る通りなのはよく解りました。では世尊よ、第十の没落の始まりはどこにあるのでせうか、それをお示し下さい。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)

110 「盛壮を過ぎたる人が、ティンバル果の如く盛り上れる乳房ある若き女を連れ歩き、彼女への嫉妬より夜も眠らず、これ敗亡者の敗亡への門なり」。
南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 六 敗亡経 四十頁)
壮年を過ぎたひとがティンバルの実のやうな乳房をしているものを引入れて、彼女への嫉妬のために夜もよく眠れないとすれば、そこに没落の始まりがある。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)
盛りをすぎたる人がティンバル果の如く盛り上れる乳房ある女をひき入れ、彼の女への嫉妬にて夜も眠らざるはこれ亡びる人の因なり。(田辺聖恵訳)
釈尊ほど愛欲の恐ろしさを痛感した宗教者は少ない。その明解な結論が「愛欲は苦の因」。
時としてそれは死の恐ろしさ以上になる。人を狂わせ生きながら亡びている人、これを見すえねばならない。その中に己があること、その愛欲と斗わない宗教などないことを、今日ほど強く思わせられる時はない。(田辺聖恵)