2010-05-01から1日間の記事一覧

父 杉田正臣著

(九十一) 父は 八十五歳の時日向俳壇史を著わした 父は 多年の願望を成就してほっとした 父は それからほんとの老人となった 父は 交通事故を恐れる家族のために 日課の散歩は独行動をやめた 父のお伴をして私も朝早く散歩に出た 父と散歩しながら祖父の人…

父 杉田正臣著

(八十一) 父は いつも時間を厳守した 父の時計は 一分の遅速もない当時最良のものであった 父は 自分の時間以上に他人の時間を尊重した 父は わがために寸陰を惜しんだが 他人のため には自分の時間を忘れた 父の遺愛の懐中時計は 私の机の上で休みなく 時…

父 杉田正臣著

(七十一) 父はいつも神の前に独りを慎んだ 父はいつも天地神明に誓って言動した 父はいつも在すが如く 祖先の祭を怠らなかった 父は朝に一日の計をなし 夕に一日の反省を日誌した 父は元旦に一年の計をなし 歳晩に一年の回顧を摘録した 父は百を一生とし …

父 杉田正臣著

(六十一) 父は論よりも証拠を重んじた 父は実践を主とし読書を従とした 父は口を以て教えるよりも身を以て示した 父は陽徳よりも陰徳を重んじた 父は医者の不養生を恥とした 父は受けた恩は終生忘れず 施して報いを求めることは決してなかった 父は散る花…

父 杉田正臣著

(五十一) 父は一年の計は元旦にありとし 元旦は神宮参拝に始まった 父の元旦に始まる暁天日参は 五十年間続いた 父は壮年時代は始業の朝終業の夕 一日二回神宮に参拝した 父は喜びにつけ悲しみにつけ 神宮に参拝して祈りを捧げた 父の心身の強健はこの捨身…

父 杉田正臣著

(四十一) 父は縁の下の力持ちを好んだ 父は会長の時は寸暇を利用して 書記や小使の仕事をひそかに助けた 父は八十歳をこえて 看護婦を助けて薬つくりをした 父は廃物利用を好んだ 父の手にかかると子や孫の書き捨てたノートが 立派な抄録帳となった 父にと…

父 杉田正臣著

(三十一) 父は決して他人の陰口を云わなかった 父は他人の陰口を聞くのを好まなかった 父は噂によって人を律することはなかった 父は他人の目や耳よりも 自分白身の目や耳を信じた 父はある時親友の悪い噂を聞いた 父はある人からその友と交わらぬよう 忠…

父 杉田正臣著

(二十一) 父はいつも春風のように にこにこして人に接した たとえ持病の貧血による頭痛や 頑固な便秘による腹痛のある時でも 父は白己に対しては秋霜のようにきびしかった 今日出来ることを明日に延ばしたり 自分で出来ることをひとにたのんだり そんなこ…

父 杉田正臣著

(十一) 貧しくて進学出来なかった父は 何を師としたであろうか 父は後年よくいった 田舎にはよい師が少ないので 出来るだけ本を借りて読んだことを さらにそれを写本したことを 古事記 四書五経 万葉集 さらに医書まで丹念に毛筆で写した本は その一部が今…

父 杉田正臣著

父 杉田正臣著 序詞 「父」は七年間「根」誌に発表した 父から抜粋したものである 「父」は七十才にして漸く生まれた 私の処女作である 「父」は同居五十年間同業三十年 の父への謝恩追慕集である 「父」は詩にして詩にあらず 私の志を述べたものである 「父…

原始仏教講座 第二講 その七

第二講 その七原点として、仏様は生きた方であった,宗教活動なさった方、仏様とは宗教活動なさる方。では私達は何をもってお釈迦様から導いて頂くのか、ということが次のダンマです。三宝という三つの宝のうちの第一番がブッダである。それはこよなき世間の…

おりじなる童話 あかいはっぱはおかあさん

吉永光治のおりじなる童話 あかいはっぱはおかあさん ともこが ようちえんから かえってたら そらから あかい はっぱが いちまい おちて きました。 「うあー きれい」 ともこは ぐーつと せのびをして はっぱを つかもうと しました。 「あっ だめっ」 はっ…

釈尊の聖句 182

人と生まるヽは難く、人間の生存は難し。妙法を聞くことは難く、諸佛の出世は難し。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一四 佛陀品 四五頁) かたきこと 人と生まるるはかたく、生命をながらえるはかたし。正法を聞くはかたく、諸仏の世に出でたもう…

経集 22

22.牧牛者陀尼耶曰く、我が妻は従順にして動貪ならず、久しく共に住し貞淑にして情愛あり、彼女に何等の悪行あるを聞かず、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 八頁) 私の妻は忠実でみだらで…