父 杉田正臣著

(七十一)

父はいつも神の前に独りを慎んだ

父はいつも天地神明に誓って言動した

父はいつも在すが如く
 祖先の祭を怠らなかった

父は朝に一日の計をなし
 夕に一日の反省を日誌した

父は元旦に一年の計をなし
 歳晩に一年の回顧を摘録した

父は百を一生とし
まず十年を目標とした

(七十二)

父は何事にも用意周到であった

父は既に慣れ切ったことでも
 いつも初めてのように用心した

父は決してぶっつけ本番や出たとこ勝負を
 するということはなかった

父は一日一日を大事にし
一つ一つをつみかさねていった

父の著書もコレクションも
 数十年の自らなる結果の産物であった

父の一生は ローマは一日にして成らず
 ということを証していた

(七十三)

父は
 いつも公を先にし私を後にした

父は
 いつも公を重んじ私を軽んじた

父は
 ついに公のために私を忘れた

父は
 いつも利他を先にし利己を後にした

父は
 いつも利他を重んじ利己を軽んじた

父は
 ついに他のために己を忘れた

(七十四)
父は毎朝誰にたいしても
 そっせんして「お早う」といった

父は毎夕誰にたいしても
 そっせんして「ごくろうさま」といった

父は人を用いるには
その長をとりその短をすてた

父は人と事を共にするには
 快事を人にゆずり苦事を自ら受けた

父は日間の些事については
 世俗に従うのを常とした

父は一生の信念については
 世俗に背くことを恐れなかった

(七十五)

父は人に対するに
 一視同仁を旨とした

父は老若男女によって
 態度を加えることはなかった

父は貴践貧富によって
 態度をかえることはなかった

父は何事をするにも
 いつもはじめてのように用心した

父は大事を恐れず
 小事をあなどることはなかった

父にとってはすべては
 修練の場であり事上練磨の好機であった

(七十六)

父は けっして いそがなかった

父は けっして あせらなかった

父は けっして やすまなかった

父は けっして おこらなかった

父の歴史は 父の人格であった

父の一生は 父の永遠の影をのこした

(七十七)

父はいつも
 一筋の道を一歩一歩あるいた

父はいつも
 あしもとにきをつけてあるいた

父はいつも
 姿勢を正してあるいた

父はいつも
 道草をせずにあるいた

父はいつも
 自分のさだめた一筋の道をあるいた

(七十八)

父は
 足があれば歩けといった

父は
頭があれば考えよといった

父は
病は口から入るといった

父は
禍は口から入るといった

父は禍は□から出るといった

父は
いつも自然に学べといった

父の言は
みなその体験から出たものであった

(七十九)

父は
 度を過ごすのは自然に反するといった

父は
 用いなければ発達はせぬといった

父は
 医は自然治ゆを助けよといった

父は
 正法は寄ならずと信じた

父は
 至道は無難であると信じた

父は何事についても
 無理をせず無理をさせぬよう努めた

(八十)

父は
 一つのラクダの襟巻を五十年間愛用した

父の
 遺愛の襟巻を私は十年以上愛用している

父の
 襟巻には暁天の星ほどの虫の穴がある

父の襟巻を
 首に巻くと私は父の暖かさを感ずる

父の襟巻を
 首に巻くと私は父と共に在るのを感ずる

父の襟巻の
 ある限り私の冬は暖かい