2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

原始仏教講座 第五講 その十一

第五講 その十一 そこで法華経というお経が日本では一番流行るというか、伝教大師、天台宗は法華経中心に一応なるわけです。道元禅師もこの法華経を主になさるわけです。ですがその法華経の中身は仏になるぞという話、その主旨で書かれているお経なんですが…

経集 78

78 身を護り、語を護り、食に対し腹に対して自制し、諦をば芟徐とし、柔和を我が解脱とす。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 四 耕田婆羅堕闍経 二八頁) 身を慎み、言葉を慎み、食事についても足ることを知り、そのやうにして真実を行ふことが…

人間究極の解明

「人間究極の解明」 人間は永遠の存在で、死なども無いとすれば、大した苦悩を感じる事はないであろう。所が現実に例外なく人は死ぬし、さらに厄介な事に何時死ぬかハッキリしないという事で、人間は生きなければならないのである。そうしたいわば条件付きの…

釈尊の聖言 「二つの思い」

釈尊の聖言 如来にしばしば二つの思い生ぜり。行くにも坐すにも他を害しそこなう事なければ安らかなり。又、善からぬすべてより遠離したれば安らかなりと。おんみも無害と遠離によりて安らぎを得べし。 「二つの思い」 如来とは真理から来た方。ブッダの別名…

原始仏教講座 第五講 その十

第五講 その十 次「仏心」にいきます。これは法華経にある内容です。この罪の衆生は、悪業の因縁をもって、はてしなき時をすぎても三宝のみ名を聞かず。あらゆる功徳を修め、柔和正直なる者は、みなわが身、こゝにあって法を説くと見る。 これは法華経の第十…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #9

「土佐藩黒幕説起点」 福岡孝弟の「言ってはいけない事になっている」について、前記では少々遠慮気味に書いたが、実は、土佐藩の福岡が、別段、薩摩藩や他藩に遠慮などするとは思っていなく(徳川幕府は別として)、私は確信的に容堂だと思い浮かんだのだが…

仏教は人間主義にあらず

「仏教は人間主義にあらず」 仏教の開祖釈尊は明らかに人間であった。ブッダとは人間としての最高の生き方をされる理想者のことである。後期仏教のように、山も川も草も木も仏性を持っているといった複雑な哲学を通さねば理解出来ないといったお方ではない。…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #8

「土佐の名物お殿様:山内容堂」 明治維新後、完全に隠居した容堂は、連日両国などで豪遊し、界隈では名物お殿様として有名だったという。 幕末に於いて、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された土佐藩の元藩主は、先祖の一豊が徳川方についた為、その恩…

釈尊の聖言 「聖なる知恵」

釈尊の聖言 「聖なる知恵」 聖なる知恵の具わりたるものは幸いにして、この世において安らぎ、未来は善き所にゆくなり。 「聖なる知恵」 人間は永久不変の本体(我−アートマン=不変の魂)があると思いこめば果てしなく輪廻する事になる。死んだら終いという…

経集 77

77 「信は種子なり、苦行は雨なり、慧は我が軛と鋤なり、慚は鋤棒なり、意は勒(たづな)なり、念は我が鋤先と鞭なり。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 四 耕田婆羅堕闍経 二七頁) 信ずることが種子であり、心身を献げることが雨であり道理を…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #7

「自説:中岡慎太郎と龍馬暗殺の黒幕」 これは、ある意味、人間の上下関係と藩体制にも関わってくる。幕末以前でもそうであったし、維新後もまたそうであった。 藩というものは、維新前に於いて、いや薩長同盟以前を見れば分かるように、藩同士は実に仲が悪…

原始仏教講座 第五講 その九

第五講 その九 タイ、ビルマ、スリランカにはわずかにその系統が残っている。残っているけれどかなり形式化されていますね、タイなどテレビで見ても、いわゆる国教になっているでしょう。国教ということは坊さんが生活保障されている。保障されたら托鉢、本…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #6

「西尾秋風氏の薩摩藩黒幕説」 新人物往来社の『龍馬暗殺の謎を解く』に於いて、「刺客? 中村半次郎」の章を書いた西尾秋風氏は、いわずと知れた薩摩藩黒幕説の人である。海援隊士・佐々木多門の書簡から、薩摩藩説を確信したという。私見だが、この書簡に…

入滅の意味

「入滅の意味」 幸不幸を超えた世界 二月十五目は、釈尊がその肉身を捨てられた日である。熊本ではネハン会とし、高麗門の寺々では釈尊が亡くなられる時の図絵をかかげ、お祭りをする。その時、門前市として、植木市が始められるので、人々は植木市として知…

経集 76

76 「耕耘者なりと汝は自称するも、我等は汝の耕耘を見ず。汝の耕耘を我等が得心するよう、我等に問われて耕耘を語れ」。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 四 耕田婆羅堕闍経 二七頁) あなたは自分が農夫であるといはれますが、私共は誰もあな…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #5

「見廻組肝煎・渡辺篤」 今井信郎と共に、暗殺に加わったと、死後、身内が新聞に発表し、龍馬暗殺事件に於いて有名になった人物である。私は今井の証言が腑に落ちないと共に、ある理由から今井の証言は当てにならないと思っていたので、この人物を取り扱った…

釈尊の聖言 「存在への執着」

釈尊の聖言 邪見のものは存在(有)に執着し、又は嫌うなり。眼(まなこ)あるものはそのものを在るがままに見るなり。 人は存在を楽しみ存在を喜び、かれらに存在の滅びを説くもそれに心傾かず、喜ばざるなり。他の人は存在を嫌い、死後滅び絶ゆるを望めり…

原始仏教講座 第五講 その八

第五講 その八 お浄土は極楽というんです。極楽というのは楽の世界ではないんです。所が平たいお説教だと楽の世界ととるんですね。お浄土、安楽、安らかにということは何の苦しみもなく、有難い世界、こうなる。何か昼寝しているようですよね。クーラーの所…

仏教者の病いへの対処

「仏教者の病いへの対処」 病いと云ってもいろいろある。病菌によるものや、内臓器官の働き具合いや、食栄養次第、身体の使いすぎや、使わな過ぎ−それぞれは実際には複合しているから今日でも病気そのものは無くならない。これにさまざまな心因性が加わるの…