仏教は人間主義にあらず

 「仏教は人間主義にあらず」                     

 仏教の開祖釈尊は明らかに人間であった。ブッダとは人間としての最高の生き方をされる理想者のことである。後期仏教のように、山も川も草も木も仏性を持っているといった複雑な哲学を通さねば理解出来ないといったお方ではない。
 いわゆる思想や哲学であれば、その発想者の生活行動を知らねば理解出来ないという事はない。一タス一ハ二という数思想を誰が云い出したかという事を問題にする必要がないのである。釈尊の仏教は「縁起の思想」を正導するものである。仏教を思想として捉える限り、開祖釈尊がどの様な人であり、かつどの様な行動をなさったかと云う事は問題にする必要はない。実際に、仏教思想者は釈尊をぬきにして様々な思想加上をしてきた。現在でも日本の仏教学者のほとんどが、後期仏教を発展仏教と称して疑問としない。一万タス一万を高等数学と云うのと同じ発想。
 さて仏教とは宗教である。宗教とは人間が価値的に転換してゆく事を目的とするものである。不思議な力存在を拝んで商売繁昌をする。それも需要供給だから在って悪いとは云えないが(共産主義者はこの点にメクジラを立てる〜それも一理)それは信仰の一種であって宗教とは云わない。日本で宗教が分かり難いのは何故か。

        「真の仏教」
     緑起相関の真理を中心とする真仏教
     虚大な仏殿仏像も必要としない真仏教
     それはまさに普遍妥当の真実である
      真理を発見体得正導される真のブッダ
      空小屋にてこと足るとされた真のブヅダ
      それはまさに生き方理想の真実である
     真理正法をいかに生活化するかが仏教者
     実行によって結果を得てゆくのが仏教者
     それはまさに全現道者の真実である

 釈尊は地位・名誉・ゼイクク・愛情まで捨てて出家なされたのは何ゆえか。釈尊自らその点を振り返って語られる。幸福と云うものに取り囲まれながら、それでも真の心の安らぎが得られなかった。
 幸福に疑問を持たぬ内は、それを追いかけ、競争し、拡大して意気揚々となるものである。有史以来戦争が絶えないのは、人間の欲望にはてしが無い事、この欲望が人間の理性、真実を見る目を大幅に曇らせてきた事の証明である。
 釈尊の鋭敏な感覚はその人間の、本性とまで思える欲望を見すえられた。そして、それと別個な生き方は無いものかと、道を求められた。 られた。そして、それと別個な生き方は無いものかと、道を求められたのである。これは全く個人的な事である。世界平和の為でもなく、すべての人類を救済するのだと大見栄を切るようなコケおどしでもない。多少人生経験を持つ、多少の疲れを感じる様な人であれば、誰でも思いつく様な事である。釈尊仏教に私どもがひかれるのは、そこに生活の臭いがあるからである。共感とゆかぬまでも、親しみを感じるのである。では欲望を捨て、山野にこもればそれでいいのか。それは単なる逃避であって、人生を捨てた事になる。
 日本では山にお寺が建てられ、世俗を絶った修業の場とされた点はいいのだが、後には高貴な方々のイントンの場になる事が多い。それは政治世界の末端にあって、実は世俗と切れていなかったからである。どうしてその様な僧侶が出てくるのかというと、釈尊の仏教者としての生き方が、まるで伝わらないという不思議が中にはさまっていたからである。もし宗教が世界平和に名乗りを上げて行動開始すればどうなるか。それは政治次元での対立、力の衝突となる。これも又歴史の中にいくらでも見出せる事だ。 
 仏教が個人原理である事はあまり明確にされていない。たいがいの権力者は武圧だけではマズイと考え、超越存在としての神仏を立て、自分の権威不足をゴマ化そうとする。
釈尊の生涯を知れば、釈尊が政治顧問になったり、政治批判をしたり、政治に君臨されたりした事がまるで無い事が分かる。幕府権力に組みこまれ、人別帳による手形発行など大衆を管理していた寺院が、どうしてそうした宗教管理政策に疑問を持たずにきたのであろうか。それは結局。釈尊をあまりにも知らなかったからである。
 今ここで、寺院仏教を批判するのではない。何故、人間としてのブッダ釈尊が日本に伝わりにくかったかである。六世紀に頭のいい天台大師が中国仏教界に登場、アゴン経は入り口の教え(つまりレベルが低い)と決めつけてしまった。こうして人間釈尊は千三百年間、日本でも中国でもほとんど無視されてぎたのである。この驚くべき大事実に、未だに驚く人がいないという事も、また又驚きである。人間釈尊が大衆の知る所となるには、まあ後三百年はかかる。これは高度仏教思想が先行してしまったからだ。大衆は施し一つすら教えられず、ただただ信ずるより分かり様がない難解さだ。

      「人間を超えるもの」
     人間らしくという言葉は美しい
     だが人間主義ともなればごう慢になる
     人間を超えるものへの尊信がないからだ
      家庭に宗教がないのは悲劇だ
      幸福主義はガラスのもろさで成り立つ
      人間を超えるものが生き方の支えなのに
     謙虚に生きる事は難しい
     人間同士ではとかく優劣上下で対する
     人間を超えるものに対してこそ謙虚なのだ
  人間存在の事実とすじ道
 釈尊は出家をされた。それは世俗生活からの単なる逃避ではない。愛する者に囲まれ、やり甲斐のある仕事を持つ、それは確かに幸福には違いない。現代のような人間主義の時代には、それ以上の何か必要かとなる。停年後は悠々自適ともなればそれこそ云う事なしである。釈尊はそうした幸福線上にあった。しかしそれは又、徹底した人間観をくらますものである。そこには死に対する考察や納得がなされていない。孔子聖は死の云々を避けた。
  未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん
生きている人間の道が充分に分らないのに、どうして死の事が分ろうか、と云われる。もっともこれは「未だ人に事うること能わず、いずくんぞ能く鬼に事えん」(鬼神が何かも分らないで祭りなどしておられるか)との対句で理解せねばならない。それは人間と社会の平和政治により多く関心があったからの事だ。
 死によって限界づけられる生とは何か。この生と死を平立して考える様になれば、自ずから自然学的発想にならざるを得なくなる。
 様々な修行もなされた後ではあるが、一枚岩の上で、深い瞑想に(ジェーナ)入られた。そして何かによって突然、人間は作り出されたのではなく、様々なものが縁として影響し合って人間になってきたと云う、考えがヒラメキとなって出てきたのである。これは人間や自然の存在の事実をよくよく観察され、その存在が生から死へと変化してゆくその事実を観察されたからに違いない。釈尊が優れた自然観察眼を持って居られた事は、アーガマ経の多くの所で知らされる事である。では何故、存在するものは変化するのか。
 他の影響(縁)によって存在するから、その影響によって変化せざるを得ない。これも又事実である。その事実は影響を受けるというスジ道によって成り立つ。このように釈尊は、事実の観察・仮説・法則発見・実証という現代の科学手法を二千五百年前に自ら使われ、人生の疑問に回答を与えられたのである。
 このスジ道は正法(ダンマ−真理)と呼ばれ、宝とされるものとなった。それは一人一人の人間を超えてあるものである。人間主義にはこのような人間を超える、普遍価値を持たない。従って幸福主義にはなれても、真の価値を知り得ないものとなる。
 人間を超えてある価値真理、しかもこれなくして一人として一分たりとも生きられないのに、これを尊崇する事が出来ないのは何故か。全然この平易な、「縁起」の真理が日本では説かれていないのである。あまりにも難解な「空論」によって固められてしまったからである。釈尊はこの平易な縁起法を説かれたから、無数の人が悟る事が出来、無数の信者が、ブッダとサンガと共に「三宝」として尊信出来たのである。まさに個人原理が普遍原理にもなった。世界が悟り救われる可能性がここにあると、この上なく喜べるのである。

三宝 第144号 田辺聖恵