釈尊の聖言 「二つの思い」

釈尊の聖言 
 如来にしばしば二つの思い生ぜり。行くにも坐すにも他を害しそこなう事なければ安らかなり。又、善からぬすべてより遠離したれば安らかなりと。おんみも無害と遠離によりて安らぎを得べし。
 「二つの思い」
 如来とは真理から来た方。ブッダの別名である。釈尊は自らをしばしば如来と称しておられるが、その場合は私性を全くぬきにしていわば公的存在者として云っておられる。従ってその時はその発言も仏教の公的なものである。
 ご自分の過去などに触れられる時はいわば私的発言になる。日本仏教は如来としての公的な面だけしかないからブッダの理解や信じ方が偏り易い。そこで宗派の祖師方の私性が語られ、それが重要なものとなる。
 仏教の公的面となれば、教理とその実践法という事になる。その二つ。無害非殺生と遠ざかり。ことさらの快楽や激しい欲望生活になるべく遠ざかるという事。これは清貧と同義語とも云えよう。いかにも静かな安らぎは有難いのであるが、一般の人ははたしてそんなものを求めるかどうか。求めねば如来の真言は無縁のものとなる次第だ。