仏教者の病いへの対処

 「仏教者の病いへの対処」
 病いと云ってもいろいろある。病菌によるものや、内臓器官の働き具合いや、食栄養次第、身体の使いすぎや、使わな過ぎ−それぞれは実際には複合しているから今日でも病気そのものは無くならない。これにさまざまな心因性が加わるのだが、文明になればなったで心因性はますます増えてくるので、医学と宗教の互恵協力がこれから本格的に必要になってくる。宗教者も、心因性のものや、心の病理を知らねば、宗教以前のところで、縁が成立しないという事になってしまう。心身症にしても常識として知らねばならぬ時代。
 この短いお経(三宝法典 第二部 第四六項 病いと覚りの枝)に出てくる病気がどのようなものかは知り得ない。マハーカッサパは釈尊の亡き後、教団(サンガ)をひきいた方であるから一番弟子と云ってもよかろう。この方が釈尊から見舞いを受ける。それは法の教えさとしである。この七つの覚りの枝は原始経典(アーガマ経)にはしばしば出てくるので、釈尊が「八聖道」と同じように重要視されたものであると思われる。八聖道も原語通りに直訳すれば聖なる八支の道(アーリヤ・アッタン・ギーコ・マーゴ)、これは覚りにしても救われにしても、知・心・体統合機関としての営みであるから、何か一点に含ませてしまう事が無理と考えられての結果であろう。日本仏教はほとんどが「一道」としてシボられているから、非常に簡単であるようでもあるが、それなりに専門性が要求されるという面を見落してはなるまい。
 この七つの覚りの枝を見ると、理知面と心情面が同じ位の比重を持って構成されている事が分かる。覚りの内容は単なる安心感情を作り出すものではない。それでは理知的疑問がついて廻るので、それを無視し、押しつぶさねばならない。この点をアイマイにしないという点て、釈尊の仏教は一般的な信仰と明らかに違うものである。
 さてこの様な特質を持つ仏教を何十年と聞き、かつ指導を受けてきた弟子が、病いの枕辺でまた新たに法を聞き指導を受けるという事は、どういう事であろうか。私共卑俗な者であれば、病いの時には、その病いが直り易いような特別の念力法などによって、直して貰えたならば・・・などと思う所であろう。現に法華経には種々のダラニ(呪法)などが数多く記載されており、行者と称する方々はこれを大いに活用?しておられる。ところが釈尊は、何とも基準性を守っておられる事であろうか。基本で充分なのだという事であろう。
 あらゆる場合に応用が利いてこそ原理原則と云える。釈尊が説かれた八聖道にしても、四聖諦にしても縁起説にしても、あらゆる場合に通用する実際性を持っている。これはまことに素晴らしい事である。人間の営みすべてが網らされていて、全然破綻が無いという事は、あらゆる人があらゆる場合に、その直面する問題とさらには人間の根本問題が解決されるという事である。つまり取組みさえすれば、すべて道が開けるという事なのだ。
 師と弟子が共に重病から直るという事は、今日においては、さほど重要な事ではないと云えよう。医学医術の発達は較べようが無い程発達してきているからである。そうは云っても新教団が病気直し主にして大発展をしている事実を見落すわけにはゆかない。それは現代医療が未だに肉体医療を主として、現代病が精神性による事がすでに五十%を越しているという事実と対策についてゆけないという事の証拠でもあるのだ。
 こうした観点からこのお経の内容を改めて検討してみる必要があるのではなかろうか。覚りや救われを求める心は、病気、病理と全く無関係な、健康そのものの心からのものであろうか。こうして考えると一体健康とは何か、健康精神とは何か、という一大テーマにゆきつかざるを得なくなる。肉体は明らかに病状なのに、心は高度な宗教性にあふれ喜びに生きておられる人もある。肉体は頑健なのに、思うようにならないからと云う事で放火をしたり、殺人あるいは自殺という事も決して珍しい事ではない。健康精神だから宗教を求めるのか、何らかのユガミがあるからこそ宗教を求めるのか。
 今日こそ、こうした点からの問いに、宗教は自問自答せねば宗教趣味の一種に堕してしまうであろう。すでに半堕かも知れない。
 真理法は病いにも有効
 二月十五日は釈尊が肉体的に亡くなられた日となっていて、ネハン会をとり行うお寺もある。八十歳になられた釈尊はその肉体の亡びに対して、心をすでに決められ、その機縁を待って居られたようである。ある信者のご供養食の中に毒キノコ(一説には腐肉)があやまって入れられ、赤痢になって亡くなられる。これは心因性でない病因によって亡くなられた事を現わしている。二千五百年前の八十歳という事は、今日なら百歳は越えると考えてもいいのかも知れない。また一方の考えからすれば、当時でもヨガ瞑想行者などは百歳位の人は多かったかも知れない。釈尊は殊さら長寿を願われた様子はない。何故なら、長寿以上の価値に生きて居られたからである。
死にあらざるさとりへの道を見ずして、百年生くるよりは、死にあらざるさとりへの道を見つつ、一日生くるがすぐれたり。
 ―これは釈尊の直言であるが、ここには長寿とか永遠のいのち、といったまぎらわしい発想は云われていない。要するに覚るか覚らないか、この人間としての価値的究極を問題にしておられるのである。「生死の超越」という事が仏教ではよく云われるが、それは人間が覚るという事実においての事でなければならない。さもないと単なる観念、抽象の事になってしまう。
 日本では信者の話と徹底者との話が混同しやすいから、とかく死んでから先、どこかに行く霊魂の話となり易い。こうなると人間では無い、まるで別次元の事になってしまうので、ますますアイマイなものになってしまう。それは釈尊の非我説が中国で無我と訳され、さらに無執着説と混同し、いつの間にか、無霊魂、死んだらしまいという俗話を仏教と思い違えるようになった事が原因であろう。
 死んだら仕舞いなら、人間はどうにかこうにか要領よく生きて、後は死を待てばよいという事になり易い。釈尊の時分にもそのように考え行動した一派があった。これは順世外道と云われ、魂の断滅論者として釈尊が強く批判なされた所である。仏教の基礎理論としてこうした所がハッキリしないなら死後を云々しても水掛け論になるし、生きている人間そのものもよく分らないと云う事になる。
 さて釈尊は覚られた方であるのに重病にかかられた。釈尊が仏けとして、単なる抽象存在ではないという事だ。日本ではユイマ居士の病気などが伝えられ、慈悲心を病いという形で表現したりするので、仏教者の肉体の病気がほとんど問題にされない。これは触れてはならぬ次元のものと考えられてきたからであろうか。それでは、肉体を持ち、特に心身症が多くなった現代人にアッピールする所がないと云うべきではなかろうか。何故なら人間にとって心身症的なものは、何時の時代でも、またどの様な環境においても在るものだし、それを除外して人間の理解などは不可能である。この人間理解をぬきにして仏教としての覚りや救われもまた在り得ないのである。
 釈尊は仏教者である。ブッダとして現実の存在である。この方が病いにかかられた時、その弟子から、自らが正導された覚りの枝を聞かれる。すでに説かれた真理法はその発案者から離れ、真理実現のための活動、働きをするようになる。釈尊はその法を聞かれ、思念し、喜び、病いを直された。たとえどの様な病気であろうと、あわてふためいて医薬にとりすがるといった事でなく、心の在り方の真理法に向ける事を優先されたのである。人間の病いに対する仏教者の在り方を厳然と教えさとされていると、受け取るべきではなかろうか。宗教と医療の分離の功罪を考える時に来ている。

三宝 第136号 田辺聖恵