原始仏教講座 第五講 その八

第五講 その八

 お浄土は極楽というんです。極楽というのは楽の世界ではないんです。所が平たいお説教だと楽の世界ととるんですね。お浄土、安楽、安らかにということは何の苦しみもなく、有難い世界、こうなる。何か昼寝しているようですよね。クーラーの所で昼寝してて冷えすぎて風邪ひいたという話とあまり変らない、昔の人はそのくらいでよかったんです。毎日生活苦しかったから、死んでからなりと楽になりたい。そうとったに違いない。それはそれでいい、その当時はそれでいい。だけど今死んでから昼寝したいなんて思わないでしょうね。死んでから昼寝したって、今昼寝しなければ意味ないじゃないかということになりますよね。宗教的世界がお浄土であるとすれば、私達がお浄土に行くということは私達が宗教活動に目覚めるということなんですね。
 これは特定の仏さんだけに任せてたんでは日本はもう仏教は分らなくなってしまう。坊さんに任せていても駄目だ、葬式も必要、先祖供養も必要だ、だけど本来の宗教活動は誰がするか?それは我々一人一人が目覚めて立ち上がらなければ仏教は日本で無くなってしまうではないか、インドで無くなっているんです。インドに仏教ないんです。インドにあるのはヒンズー教とイスラム教、イスラム教の方が四割位ですか、ヒンズー教が六割。仏教徒が百万人位いるらしいのですけれど、インドではほとんど仏教はほとんど無くなってしまっています。仏教は今まで話してきたように非常に高度でしょう、高度だから半砂漠地帯で生き難く暮らしている人は矢張り、神様でないと間に合わないんですね。それで仏教というのがあまりにも高級すぎるから真理の認識なんか一般の人はいらない、かえって邪魔になるかもしれない、それでインドは仏教亡びるんです。