経集 77

77 「信は種子なり、苦行は雨なり、慧は我が軛と鋤なり、慚は鋤棒なり、意は勒(たづな)なり、念は我が鋤先と鞭なり。南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 四 耕田婆羅堕闍経 二七頁)
信ずることが種子であり、心身を献げることが雨であり道理を知ることが、私にとってくびきと犁である。恥を知ることが犁棒であり、深い思ひがしばる縄であり目醒めていることが私にとって犁先と突棒である。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)