入滅の意味

  「入滅の意味」
 幸不幸を超えた世界
 二月十五目は、釈尊がその肉身を捨てられた日である。熊本ではネハン会とし、高麗門の寺々では釈尊が亡くなられる時の図絵をかかげ、お祭りをする。その時、門前市として、植木市が始められるので、人々は植木市として知っていたのであるが、今日はこの植木市も別のところで行われるようになり、このネハン会は、人々からすっかり忘れられるようになってきた。
 この二月十五日頃には、雪が降ったりして、暖かくなりかけた熊本でも急に寒くなり、あゝ高麗門の市だからと思い出すのが熊本人一般だったが、これすらも、もう思い出すよすがにもならないほど、人々の生活は暖かくなっている。
 さて、仏滅とか大安とか云うのが中国伝来の吉日といみの日の習慣であるが、なぜ仏滅が悪い日とされるのか、なぜ釈尊の国でもない中国の風習に入りこんだのか分らないが、仏さまが亡くなられることは悲しいこととされてきたからであろう。それがいつの間にか、悪い日となるのは、誰でも、どこの国でも死をいみ嫌う感情からそうなるのかも知れない。
 しかし、仏教の立場として考えるなら、釈尊が亡くなられるということは悲しいことではあるが、決して悪い日としてはならないのである。良い悪いは、幸不幸、快・不快の次元のことである。釈尊は、三十五才で正覚、つまり真理を認識体得された時に、この幸・不幸の次元を超越された。そしてそれから四十五年間野宿を重ね、人々にこの真理正法を正導する旅を続けられたのである。
    釈尊の旅           
 はなばなしい宗教と
 まことに地味な宗教とある
 釈尊はその後者をえらんだ
   会堂も本部も作らず
   四十五年 旅から旅へ        
   野宿を重ねて法を説かれた
 三衣一鉢 日に一食
 はだしで旅ゆく釈尊の心は
 心まずしき人々への思いで一杯だった
   真理正法に生きるためには
   一切の虚構を捨てに捨てるのだ
   そこに真実の世界が輝やいてくる
真理正法になり切るとは、人間をも含む天地自然一切が、縁起性 (関係しあって変化してゆき、固定したものはない、従って人間にとって一切は互恵し合うとみることが出来る)であることを、はっきり認識し、その考え方になり切って生きてゆく、互にプラスし合ってゆくということである。今日的に云えば、戦争や対立抗争は全く真理に外れた生き方で、やがて自ら破滅する道を歩んでいる−ということである。つまり国家我欲が、自己破滅を知らず、ただ我欲のみで突っ走ってきたというのが、日本も含む近代の世界歴史である。
 個人個人が目覚め、真理を学習し、互恵真理こそ平和の大原理であることを体得し、これを集団に及ぼし、国家に及ぼしてゆくより、この集団悪、国家悪を是正することは出来ない。私共日本人は、戦前の教育によって、お上(国家又は天皇)がすべて考えてくれる、それが正しい、それに従えばよいーという従順方式をとってきた。つまり集団がつねに正で、個はその従属と考えられていたのである。今日の日本人で、個を確立している人がどれほど居るであろうか。封建的といって、一切の日本の過去を否定するような人達も、その自ら属する集団の固定思想に従属している。
 釈尊は、二千五百年前、自ら真理正法に合致するということで個を確立した。そこには国家も所属集団も無かったのである。それは幸、不幸、地位や名誉、財産、愛欲といった一切の束縛を自ら解き放ったからである。
 日本人は、国家が滅びては信仰などして居れない、と国家を優先させる信念が強いが、外国では国家が亡びても民族、あるいは個人として生きられるという考えがふつうである。事実、釈尊の国も隣国から亡ぼされることもあった。家庭原理、国家原理が欲望の満足、つまり幸福の追求で成り立つものであるならば。釈尊の原理は、まさに次元が違うと云うより外はない。
 釈尊は肉体を持った仏け、理想者である。肉体はあるが亡くなるのである。それが真理である。良い悪いはない。これが入滅である。肉身なきブッダは存在しない。大乗仏教で考えられたブッダは実は、法身、法、真理なのである。
 真のブッダは肉身を持ち、その理法に従い合致し、幸、不幸の情感を超越することによって、人間としての可能性の極点に立つことである。それだから理想者である。その極点に立つがゆえに、人を導くことが出来るし、又、そうする以外にないがゆえに救済者でもある。この理想者の救済者がブッダである。
 確たる伝承
 ブッダ世尊と呼ばれる釈尊が身を捨てられる時、その間際まで、ピクらを教化され、その後々までの弟子たちのあり方を指導された。まさに自己がない方であった。この入滅の一節を拝誦するたびに、私は釈尊が亡くなられたということよりも、その伝統を少しでも受けつごうとすることに真の意欲をかり立てられるのである。また、ー私自身はどうか、と反省させられるのである。あまりにも遠い昔のことだから悲しくないのではない、悲しみを超越した世界というものを強烈に教えられるからなのである。
 悲しんでなどいられない、法の厳しさ、仏教者に与えられている使命、それは求道と正導である。ブッダ(理想者)とダンマ(真理)とサンガ(仲間)この三宝に対して、こわれることなき信仰、確信があるかないか、道、行法(八聖道)をどの程度実践しているか。日本では大乗仏教となったために、この八聖道は、念仏、禅、唱題行などの形に変容され、その八聖道の用語は全く使われなかった。
 三宝への信と、八聖道が行われないところには、釈尊仏教はないのである。釈尊は、自らの弟子衆に対し、その一人なりともそのことに疑惑を持たず、実践する者と承知・認容されたのである。今日の日本では、三宝の名すら滅多に口にされず、いたずらに宗祖のみが強調されるというのであるから、このことこそ悲しむべきことなのである。日本の宗祖方は、皆、釈尊仏教を心がけたに違いないのに。日本の宗祖は皆、釈尊の後継者、伝承者でなければ、仏教者ではない。その伝承は、信と実践である。つまり少しでも釈尊の大智、大慈悲、その信と行跡をまねたいとするところにある。
 商売繁昌や、病気直し、あるいは恍惚の世界を売り物にして、釈尊を直接に否定する創価学会(釈尊は脱益の仏けと云って否定する)あるいは、舞台装置もはなやかに、金銀あやにしきの衣などでこけおどしをし、人々を眩惑するようなのは、全く釈尊仏教と無縁のものである。(アミダ仏は方便、うその仏と学会は否定する)
 猿芝居のように、衣装を着飾った祖師が居たであろうか。法然、親らん、道元、日蓮この各祖師方、みんないわぱ喰うや喰わず、「祖師は紙衣」と云われるほどの生活だった。そこに釈尊への追慕があったのである。今日、仏教行事が派手になればなるほど、釈尊から遠いことを知らねばならない。この師と弟子のあり方から、初めて信者のあり方が出てくる。日本仏教はあまりにも信者を主体にし、そこから知らず知らず、求道の弟子のあり方をも変えてしまった。これが八聖道が行われなくなった本当の理由なのかも知れない。
 釈尊が入滅される直前になぜ信者について言及されなかったのか。それは出家仏教で信者を主としていないということではなく、出家直弟子達が正当であれば、信者への正導も又、正当に行われるという、弟子への満幅の信頼があったからである。
 これからの日本仏教は、この釈尊の意に一歩でも近づき、その宗派の信と行法が八聖道といかに直結しているものであるかを論証し、実証しなければならない。さもないと結局、一新興教団に堕してしまうからである。世界の平和が真剣に考えられねば、地球が破滅するという危機の時代になって、真の世界平和原理をどこに見出すか、私は、釈尊が二千五百年前に見出した縁起の真理しかないと思う。
 そのことを声を大にして啓蒙運動を更に増大せねばならない。その真理から導き出される生活方法は少欲知足である。便利生活に走り易いのを、一日一食の質素な歩みをされた釈尊を恋慕することによって、少しでもあやかってゆこうとするところに仏教者の生活がある。世界がもし少欲知足を少しでも取り入れたなら、たちまち平和が本物になるのであるが、この原理はまさに足許からである。入滅の日に考えねばならぬことは、それこそ山ほどあると云わねばならない。

浄福 第77号 1980年2月1日刊  田辺聖恵