2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

静思湧言

人生に充実を。 発見 創造は 人生の至福。 土台なくして、本物なし。 凡なる者の凡なる道に合掌。 拝啓 私も育ちつゝあります 敬具。 飛躍に備える。 やさしい心 きわ立つ知恵。 見える 聞える みんな喜び

釈尊の聖言 「少数者」

釈尊の聖言 「少数者」 ビくらよ、法を受持するも、その意義をわきまえるものは少く、その法に従うはさらに少し。 驚くべき所に驚くものは少く、悲しみを静めんと正しく努むる者は少し。ニバーナに入らんとして心を一点に集め、寂静の心を得る者は少く、また…

原始仏教講座 第四講 その十五

第四講 その十五年をとる病気をする、死ぬということが事実としてある。それは苦しいか苦しくないかと、苦しいわけですね。まあ死んだら終いというような人、いつ死んでもいいというような人、バイクでパーっといって、転んだとか、免許取ってすぐ夜中、この…

静思湧言

少々 先を見る。 開けている道ほど、見えにくい。 喜びを超える世界。 さあ、どう踏み出すか-だ。 ゆきづまりのない人生、どうぞよろしく。

「生きていることの意味」

「生きていることの意味」 釈尊は不治の病いをもって居られたわけでもない。老人であることの悩みをもって居られたわけでもない。死ぬことへの不安をもって居られたわけでもない。それなのに釈尊は、老病死などの憂れい悲しみ苦悩からの脱却としての道、仏教…

経集 62

62 水中の魚が網を破るが如く、十結をば裂き破りて、燃焼せし火の戻らざるが如く、煩悩に戻ることなく、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 二一頁) 魚が水中で網を破るように、火が既に焼いた処へ戻っ…

釈尊の聖言 「少数者」

釈尊の聖言 「少数者」 ビクらよ、この世界に楽しき花園、うるわしき池少く、山坂やいばらの垣など多きが如く、賢くして知恵あり、義の善悪を知り分くる力ある有情は少く、暗く愚かにして、義の善悪を聞きかつ知り分くる力なき有情は多し。 聖なる智見を有す…

原始仏教講座 第四講 その十四

第四講 その十四四聖諦というのは、この八聖道が一番中心ですが、その中心をふまえて、人間のあり方を全面的に考え、そしてそれを論理的に構成し直したものです。ようするに人間が問題意識を持った場合、その問題意識、問題をいかに解決するかという原理です…

仏教の本質・人間の本質

「仏教の本質・人間の本質」仏教の本質 三宝聖典 第一部 第二十二項 三十人の青年 まずここで驚くことは、青年と呼ばれるほどの若い人達が、その奥さんを捨てて出家し、まことの求道の道に入ったということである。日本では出家ということを否定する空気があ…

経集 61

61 この受楽は縛著なり、茲の可楽は小なり、快味少くして茲には多くの苦あり。これ鉤針なりと知りて覚慧者は、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 二〇頁) 「これは束縛であり、こゝには幸せも、楽しさ…

釈尊の聖言 「邪見・正見」

釈尊の聖言 「邪見・正見」 「ビクらよ、邪見は人をして、 死後地獄におとさしめ、正見は人をして天界に導かしむるなり。 邪見の人がその見に従いて行 うところの身・口・意の三業、 希望も欲願、その他いかなる心 の働きもすべて悲しき苦の報い を招くもの…

民主党代表選街頭演説会(大阪・梅田) 小沢一郎 2010年9月5日

勝手連で何か手助けできないものかと思い、演説会の文字起しをしました。文章としてはまだ見たことがないので、配布するにも有効ではと思っております。 民主党代表選街頭演説会(大阪・梅田) 小沢一郎 2010年9月5日 大変お暑い中を、そして日曜日の…

経集 60

60.子をも妻をも父をも母をも、財宝をも穀物をも親類をも、それぞれの諸欲をも捨てゝ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 二〇頁) 子も妻も父も母も、財産も穀物も親族も、色々の欲望もすべて捨てゝ…

原始仏教講座 第四講 その十三

第四講 その十三だからそれは精神、心の動揺、どうなんだろうか、どうなりたいとかいうような心の動揺が静まった状態。だから静かなんですね。しかし単なる静かではなくて、尊い静かな状態である。尊く静かなりと。この尊くは私が七語調にあわせるために意味…

釈尊という事実の仏けさま

「釈尊という事実の仏けさま」法によって静まる信仰 一切に超越し、一切を救うという如来さま、仏けさまを聞いてこられた方々は、ここに掲げられた生ける日の釈尊(シャカムニ世尊)の日常を聞いて、あまりビンとこないであろう。どちらも同じ仏様であると云…

マスコミ報道に異議あり

民主党代表選を巡って、共同記者会見、記者クラブ主催の討論会、街頭演説会とじっくり聞いたのですが、その印象とマスコミ報道のギャップに唖然としております。その中でも、レッテル貼りの「政治とカネ」に関して何か参考になる文章はないものか探しており…

釈尊の聖言 「善の生ずる法」

釈尊の聖言 「ビクらよ、怠け、多欲、不満足、正しからざる思い、無自覚、悪友、これらは未だ生ぜざる不善の法を生ぜしめ、すでに生ぜる善法を滅ぼさしむるものなり。 精進、少欲、知足、正しき思い、自覚、善友、これらはすべて未だ生せざる善法を生ぜしめ…

原始仏教講座 第四講 その十二

第四項 その十二しかしそれでは魂的なもの何もないか、この心だけかというと、深層意識的なものがあるわけです。私達の心というものも、深層意識の一部分としてあるわけです。だから深層意識的なものを、それも影響受けて変化して行くものであるが、それを魂…

経集 59

59.自ら荘厳せず。世間の戯楽と欲楽とを期待せずして、実語者は緇素の厳飾を離れ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 二〇頁) 世間の遊びと楽しみと幸せとに、耽らず、そんなことは夢にも思はないで…

静思湧言

自然とは、共通一次課題。 凡なる者の凡なる道を。 己を活かさねば、「生かされ」にならない。 半拙速の妙。 未知は創造の原点、未到は精進の原動力。 冥想洞察、静思力の時代に入る。 人気ブログランキングへ

仏教の真ずい

仏教の真ずい 当り前の尊さ 仏教の真髄とは何か−目的と手段、その違いと関系、その適用の時期が明確であること。 人間のすることは、すべて目的と手段が含まれているのだから、それは当り前ではないかーと思う。確に当り前のことである。ただ一般には、この…

釈尊の聖言 「慈心の定」

釈尊の聖言 「ビクらよ、指をはじく間にも慈しみの心を修め、増し、念ずるなれば、そのビクはうつろならざる禅定に住し、師の教えを奉じ、万人の施を受くるに値いするものと云わる。いく度びも行うものはなお更なり。 ビクらよ、いかなる不善の法も善の法も…