原始仏教講座 第四講 その十五

第四講 その十五

年をとる病気をする、死ぬということが事実としてある。それは苦しいか苦しくないかと、苦しいわけですね。まあ死んだら終いというような人、いつ死んでもいいというような人、バイクでパーっといって、転んだとか、免許取ってすぐ夜中、この前も熊本であった、百何十キロで走って、カーブ曲がり損ねて、そして即死というわけ、乗っていた人間も死んだというわけです。十九か二十歳の青年がです。ブレーキ踏んだあとがないと。夜中に百何十キロでぶっ飛ばすというのだから、もうこれは、生きているのやら死んでいるのやら分らない、客観的に言えばですね。生きるということにならない。車でバーっと走るということは生きるではない、走っているですね。まさに走っていくです。偉い人が言ってました、なんでそんなに死に急ぐかというわけです。まさに日本の若者は死に急ぐんですね。それはですね、死ぬということをあまり考えないということですね。年をとるということを考えないわけ、いつの間にか年をとって、しまったというわけです。お釈迦様達はこの教を若い、十九、二十歳の若いお弟子さんに教えられるわけですよ。この話は入り口の話ですが、入り口の話というのは仏教の一番大事な話ですが、お弟子さんは大体二十歳そこそこなんです。二十歳そこそこの人が、お釈迦様の話を聞いて、自分も是非そういう状態になりたいというんで、出家して家庭を捨てて家族から離れてお弟子さんになるわけです。その二十歳位の人に死ぬという話をぶつけるわけです。だから二十歳位では死ぬという話はピンとこない。

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