原始仏教講座 第四講 その十二

第四項 その十二

しかしそれでは魂的なもの何もないか、この心だけかというと、深層意識的なものがあるわけです。私達の心というものも、深層意識の一部分としてあるわけです。だから深層意識的なものを、それも影響受けて変化して行くものであるが、それを魂的なものとすることは出来るわけです。だから死んだら終いではないわけです。死んでからも深層意識的なものはある程度続いていくわけです。だけどそれが主体ではない。主体ではないが、またそれが最も自分の願いとする所ではないが、死んでから先、深層意識的、無意識的になって存在してみたところで、どうということないわけです、考えてみれば。だから死んでからどうだという事をあまり言ってみたところでしょうがない。ということが分ってくれば、生きている、今、自分がどういう状態であるかということが問題だということになります。だからようするに魂が、死んだら魂がどこかへ行くとかいうような話で喜んでいるというのは、丁度子供が玩具を貰って、この玩具がうれしいと言って喜んでいるのと同じだということです。まあ、そういうところから抜け出して、じゃ、自分はどうかと、それはそういう問題を、もう問題としなくていいようになると、死んでから先どうなるとか、そんなこともう問題としなくていい、自分が今ここにおいて真理と一体になるという、その体験した生き方そのものが、自分において一番価値があるんだとなれば、魂がどうであるこうであるということは、話がいらなくなる。あろうがなかろうが。それがニバーナです。即ち解脱です。それが苦しみの無くなった状態です。

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