釈尊の聖言 「少数者」

釈尊の聖言 「少数者」
ビクらよ、この世界に楽しき花園、うるわしき池少く、山坂やいばらの垣など多きが如く、賢くして知恵あり、義の善悪を知り分くる力ある有情は少く、暗く愚かにして、義の善悪を聞きかつ知り分くる力なき有情は多し。
聖なる智見を有する有情は少く、無明におおわれ迷いに入る有情は多し。又如来を見る者は少く如来を見ざる者は多し。如来を見ることを得ても、如来の説く法を聞き得る者は少く、又法を聞くとも受持するものは少し。
「少数者」
◎日本において経済は豊かになった。室内は冷暖房、ところが一歩外に出れば、暑い寒いと、心が真に満ち足ることはない。親子心中老人の自殺、子供のマンガは殺しあいばかりと云っていい程。物質の世界ですら楽園は少ない。ましてや法を解し法にいそしむような心の楽園に居れる者はいよいよ少ない。人間の未発達ということでは、この二千年間、変ることがない。戦争はもっと激化している。
◎有情とは心情欲望の有る者、未修行の人間などを指す。無明とは知恵の明りがない、愚かな者を指す。日本は形だけは仏教国のようであるが、義(人間のよりよきあり方)を知るものはますます少なくなり、ましてや、如来、ブッダや正法を見る者も聞く者もますます少なくなっている。真の仏教を求める者は減ってきているのであろうか。そうではなく真の求道者はもともと少なかったのである。
 逆に考えれば、少数ではあるが、真の求道者は今でも居るということである。この少数者ということこそ、私共に真の立上りの必要をうながすことではなかろうか。

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