釈尊の聖言 「少数者」

釈尊の聖言 「少数者」
 ビくらよ、法を受持するも、その意義をわきまえるものは少く、その法に従うはさらに少し。
 驚くべき所に驚くものは少く、悲しみを静めんと正しく努むる者は少し。ニバーナに入らんとして心を一点に集め、寂静の心を得る者は少く、また、義味、法味、解脱味を得る者はさらに少し。
 ビくらよ、おんみら、これらの諸の味を得んと努むべし」
「少数者」
◎仏教の「法」とは、真理であり、その真理の体得のための修行の方法であり、仏教者としての毎日の生活の仕方の方法である。法というと理法だけの様にとり易いが、仏教は単なる思想ではなく、宗教であるから、自己を変革して真理と一体となる、あるいは真理を自己の上に現わしてゆく、そのような具体の修行と生活をせねばならない。一時だけ、猛烈に修行して、あとは俗生活にもどるといった特殊なあり方などでもない。
◎驚くべきを驚くとは、日常の世俗生活では当り前として過すことを、そうこうしている中に死んでしまうではないかと驚くのである。必らず死んでゆく悲しみをどう処理するか。驚きや悲しみをはるかに超えた、全く異質の世界がある。それをなぜ人々は真剣に求めようとはしないのだろうか。法の意味が分ってくるその味わい。その法を体得すべく正念正定に入ってゆく味わい。いよいよ苦からぬけ出した味わい。
 それらが何ものにも替え難い大きな喜びであることを釈尊は熱心にすすめられるのである。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ