釈尊の聖言 「善の生ずる法」

釈尊の聖言 
「ビクらよ、怠け、多欲、不満足、正しからざる思い、無自覚、悪友、これらは未だ生ぜざる不善の法を生ぜしめ、すでに生ぜる善法を滅ぼさしむるものなり。
 精進、少欲、知足、正しき思い、自覚、善友、これらはすべて未だ生せざる善法を生ぜしめ、すでに生ぜる不善法を滅ぼさしむるものなり。
 ビクらよ、親族、財宝、名誉、これらのものゝ増さんより、ただ智恵の衰えるを怨み、その増さんことを努むべし。」
「善の生ずる法」
◎世俗の善は幸福であるが、聖なる善は覚り、解脱である。正見真理を学び、怠けずあせらず、修習をつみ積ねてゆく。そのためには、理性と感情の二つが適切に処理され、かつおりおりに反省検討がなされねばならない。そのためにはニつの介添えがいる。たゞ欲楽で一生終ることのむなしさに気付き、真理を体験化してゆく人間価値の実現を決意してゆく自覚と、互に励まし合い、啓発し合い、協力し合う善友を持つ事。
◎絶対の自己を確立してゆくのではあるが、同時に支え合う互恵真理が裏打ちされていなければならない。自覚という内発、善友互恵という外縁。この内と外、主体と客体この二者が一如として一体の如く、円融するところに覚りの世界がある。
 客とみる所に真を見出し、主とする己の中に、おろそかに出来ない他を発見するという、いわば未知との遭遇が縁起という、真理真実の世界である。この様に聖なる希望に満ち満ちた条件の中で生かされているのであるから有難というより外はない。

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