経集 61

61 この受楽は縛著なり、茲の可楽は小なり、快味少くして茲には多くの苦あり。これ鉤針なりと知りて覚慧者は、犀角の如く応に独り遊行すべし。南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 二〇頁)
「これは束縛であり、こゝには幸せも、楽しさも少なく、それにもましてこゝには苦しみがあり、これは魚を釣る針である」と明敏に見抜く人となって、犀の角のようにたゞ一人歩いてゆかう。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)
これは束縛なり、こゝに幸い少く楽少く、こゝに苦は多し、これは釣り針なりと知りて、識者は一人遊行なすこと犀牛の如くせよ。(田辺聖恵訳)
◎あれもこれもとはてしない欲望が己を束縛するのみならず、人間の存在理由すら分らなくするものであることを気づくのはやはり中年に至ってであろうか。真の幸い真の楽というものは説明をこえるもの、覚や救われの真境は尊師を見ると信ずるより外ない。今日の困難さはその師表がいずこにあるかという事。田辺聖恵

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