田辺聖恵

『死縁』 -死を根底とした行き方- 死から始まる生 人間は死において平等(4/4)

「かり立てられて」 血縁が人よりも薄かった私は 中学生ごろから虚しさを感じていた それが本当の充実へと私をかり立てたようだ 生きている意味が分からないことには 生きていてもしょうがないと感じていた それが意味の発見へと私をかり立てたようだ 肉親が…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 臨死 (3/4)

『荘厳なる死』 死というものは一つの足音を持っている それなのになかなかそれが聞きとれない 心がまるであらぬ方を向いているからだ 死というものに馴染みを持たねばならない あまたの他人や肉親のそれを通して 必らず自分の上にやってくるものだからだ 死…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 遠い死 近い死(2/4)

遠い死 中学の四年早々で中途退学をしてしまった私は、父がやっていた飲食店の従業員、一つ歳上の娘さんと親しくなった。一人息子で兄弟ゲンカなどまるで知らないものが、身近な異性に心ひかれるのは当然すぎることであろう。交換日記というよりもただ一冊の…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 死は突然のもの(1/4)

『死縁』 -死を根底とした行き方- 田辺聖恵 死は突然のもの 『生あるものは必らず死す』生者必滅、これは深く考える事もなく、ひごろ誰でも□に出すところである。それはことさら教えられての事ではないが、そうして□ならし、心ならしをしているのかも知れ…

三宝聖典のあとがき

「三宝聖典(原始経典の現代語抄訳)を自費出版するというのが私の心願・初心である。」田辺聖恵師の、この文章を見付けて、あとがきを先に出すべきだったと反省。自費出版の為に、印刷機を購入して体制づくりは整ったものの、現実は遺族により、普通に印刷…

うたた寝の叱り手もなき寒さかな(一茶)

老師のお叱り覚悟で挑戦します。「三宝聖典」この活用が師の願いであり、500部は遺族により印刷されたものの、20年近くが過ぎてしまいました。このブログを始めるにあたっても、始めてからも、「三宝聖典」は考慮外でした。手に負えないものとの逃げも…

プロフィール画像について

内容は私が考え、書は田辺聖恵師が色紙に書いて下さったものです。相田みつを風にと無理な注文付けたりしましたが、やはりご本人の作風でお書きになりました。大きな額に入れた物もありましたが、不注意から落としてしまい、少し破けてしまいました。何とい…

私なりの施

田辺師ご存命であったらインターネットとどう関わられたであろうかふと思う。難しい所だ。田辺師にご縁のあった人々は世代交代で激減しており、このブログをちらりとでも目にしてくれる人の数は、数だけでいうならば田辺師一生でご縁を作られた人々を一気に…

寸思湧言

この序が田辺師に引き寄せられた源だったのを思い出しました。本文はtwitterで一時間毎に一つづつ投稿していたのですが、序文やあとがきは全く考えてもいませんでした。ご承知かと思いますが140字という制限があるものですから。ホームページやブログとい…

未発表原稿の公開

「仏教による幸福への成功方式」というタイトルで1962年4月7日に書き上げられた田辺聖恵師の原稿を初公開しようと準備しております。手書きの原稿用紙にして400枚、出版のお気持ちもあったのでしょうが、そのままになっていたものです。コピーさせ…

ご了解下さい

20年以上前の文章ばかりなので、固有名詞が出たり、当時の催し物の記述があったりしてしまいますが、修正致しませんので宜しくお願いいたします。今整理中のものにも長島の胸毛だの、旭、橋蔵の映画だという表現があり分からない人が多くなっているのでは…

田辺聖恵師との出会い

ある講演会で講師が坂村真民、森信三という名前を力説され、森信三という人物に興味がわき、出来る範囲で著書を手に入れ読み進めるうちに、田辺聖恵という名に行き当たりました。他にも新井奥邃とか未知の歴史上の人物を知らされましたが、現実に会える可能…