2009-10-09から1日間の記事一覧

寸思湧言 序

序 (不尽)森信三 田辺聖恵氏は、現在わが国の宗教家の中で、わたくしが最も尊敬しかつ親しい関係にある方である。 では何故かというに、氏はすぐれた仏教者でありながら、いわゆる宗門宗派のわくのないことが、何より根本的な特質といってよいであろう。 …

未終の記 田辺聖恵

「実践人」主宰の全一学者・森信三先生は、私の恩師であります。その哲学思想、教育性も勿論ではありますが、人を育てることの実践に、一生を貫かれた方として、尊敬と師事をすべき善師を他に見出すことができません。 その学ぶべきことはあまりに多く、よき…

寸思湧言 #14

○神は世界の背後にあり、法は世界と同じである。 ○考えと行動は厳密には分けられない。じっと立っていられるのは、足の筋肉の緊張によるもの。 ○考える目的は行動するため。そして他人のために行動するのは最高の知性の表れ。 ○人間性に目覚めることによって…

寸思湧言 #13

○真の幸せとは何か-と考え始めると、たいがいの幸せそうな人の幸せは消えてゆく。 ○果-は因を規制する。こうなりたいという果を予想して行動を開始するから。果は因の条件または原因となる。 ○正導-何人導いたかといった数的なものでなく、結果をみない無…

寸思湧言 #12

○不安のない幸福はまだ本物ではない。また不幸だけの人生も思いこみにすぎない。 ○日本人は真の友情を知らない。それはまず、誠意を与えることから始まる。 ○正しい乳ばなれは、親の責任。 ○自分は苦しまないようにと、あらかじめ一線を引いた上での同情。 ○…

寸思湧言 #11

○農業の中に主体性が入って、はじめて自立国家となる。 ○人間は仕事を通じて自覚し、また自覚を通して仕事もホンモノになる。 ○白雲陽光。緑葉紅花。大地安泰。微風至福。 ○ひとは仏心に至れば、ただ実践あるのみ。 ○気ままな自由は情熱となり、その情熱は自…

寸思湧言 #10

○七日にして母を失われた釈尊は、生涯、母を生かし続けられた。 ○恨みや憎しみにも徹してみよ。やがて自分が悲しくなる。 ○出来るだけと、怠けられるだけとの中間を、人は生きている。 ○死者をとむらうボダイ寺のある間はダメ。ボダイ(覚り)を求める寺とな…

寸思湧言 #9

○大自然は人間を育てるが、それがそのまま救われている証拠。だがそれに気づくには時間がかかる。 ○自然は人を実らせようとするが、人は自然にそむこうとする。 ○人間も苦労すると、あたりまえのことが、ありがたくなる。 ○宗教で、自己追求を止めたものが、…

寸思湧言 #8

○人生目標は太陽のように、高くするほど、広く、明るく、人生を照らす。 ○考える習慣と、創作する能力を身につけねば、真の幸福はえられない。 ○精神の自由は肉体の行動を要しない。それ故、何の制約もない。 ○宗教がアヘンと云われるのは、自己探求を中止し…

寸思湧言 #7

○サラッとした気分は、血液のネバリをとることから。 ○犬猫を愛して人を嫌うのはおかしい。神仏を信仰して人を非難するのは、もっとおかしい。 ○学習し、向上することを止めれば、幸福を捨てるだけでなく、劣等感から卑屈になる。 ○真に生き方を学べば、食は…

寸思湧言 #6

○人間には外から入ることが、多すぎる。 ○徹した人を師とし、徹しない人を友とする。 ○物資は活用するもの、精神は確立するもの。 ○自己がわかりかけると、謙虚さがわく。 ○空気も水も生命ではなく、死でもない。生死を超越してしかも生命をもたらす。自己中…

寸思湧言 #5

○どの宗教も皆いいですとは、聞く姿勢が欠けるからだ。同じだからよいのか、違いがあるからよいのか。 ○自然の救済性を、覚りという認識性で証悟されたのが釈尊。 ○覚信一如 ○ご立派な発言には、自分はどうかというシドロモドロさがない。 ○苦の思いにもよお…

寸思湧言 #4

○決定とは-複雑さを、単純化し、原理化すること。 ○生命は根源的であるが、必ずしも向上的とは限らない。 ○自己形成とは、まず先入観を捨てることから。 ○先祖の供養は子孫がすべきもの。仏教は真理実現の道を説くもの-そしてこれこそが釈尊の教えである。…

寸思湧言 #3

○できることをするのだから、すべてが当然。 ○ねたみ心も結構。それによって「ようしやるぞ!」となれば! ○人は自己をみつめ始めると、孤独になる。 ○自分が不純物に見えるのは、善と善らしきものの混合だから。 ○腹一杯食べれば、二杯はたべられない。喜び…

寸思湧言 #2

○万法は真実そのものであり、万教は「一」そして「空」に帰する(万法帰空) ○腹が立つのは、相手の立場を察しないから(愛情を求めるのに急)。嫉み心が発するのはウヌボレている証拠(認められたいのが精一杯) ○迷い心は虚像を生み、無心は真実を生む。 ○…

原始仏教講座 #5(予備知識)

『予備知識』 何事においても予備知識が必要だ それは自分に対する予備知識と その事に対する予備知識である 自分はどの様で何を求めているか その事は何で成り立っているのか 自分とその事とどう結び着くのか 原始仏教はこうした発想で始まる 自分とその事…

寸思湧言

この序が田辺師に引き寄せられた源だったのを思い出しました。本文はtwitterで一時間毎に一つづつ投稿していたのですが、序文やあとがきは全く考えてもいませんでした。ご承知かと思いますが140字という制限があるものですから。ホームページやブログとい…

寸思湧言 #1

○風に動静あり、花に盛垂あり、心に実、不実がある。 ○今日から新たにふみ出す、と三度以上を経験せねば、人生は停滞。 ○救われ導かれの実感は、静心の中にしかわかない。歓喜は付随的なもの。 ○静心を養わねば、法の動きは生じない。 ○知って信じ、行って結…

人間この様に

『人間この様に』 人間は行動体なり 自分が無意味でないために 自己証明のために行動する 人間は活性体なり 生物は熱料吸収して生きる 人間は心料吸収して生きる 人間は統合体なり 理性感情行動の三点において 見事なバランス統合を続ける

法句選 #3(この世あの世)

『この世あの世』 現代人は死んだらしまいと思うが 現世になした事の結果が死後となる 現在が原因ならば未来の結果もある 未来も善かれと願う心があって 現在を慎み精進する心があるから 仏教者としての真の生き方になる 現在だけでもの事を考える風潮は 死…

未発表原稿の公開

「仏教による幸福への成功方式」というタイトルで1962年4月7日に書き上げられた田辺聖恵師の原稿を初公開しようと準備しております。手書きの原稿用紙にして400枚、出版のお気持ちもあったのでしょうが、そのままになっていたものです。コピーさせ…

勤労の聖僧 桃水 #3(1、遺伝 その三)

聖僧の,籍を置いていた、曹洞宗の面山禅師でさえもが、その著『桃水和尚伝賛』に於いて『事実ノ前後、少異アルベキコトハ必定サレドモタダ聞認シタルママニ記スモノナリ』と心細いことをいっている位で、この聖僧の家系や父母の姓名、兄弟の有無は誰にも分…

自己形成

『自己形成』 釈尊仏教とは自己形成である 欲望本位や神秘主義を脱して 互恵真理の体得者になる事だ 自己形成の手法は八聖道である 真理を中心にした修道によって 理性感情と行動を統合する事だ 人生とは自己形成が第一である そこから自分に応じた展開をし …