父 杉田正臣著

(三十一)

父は決して他人の陰口を云わなかった

父は他人の陰口を聞くのを好まなかった

父は噂によって人を律することはなかった

父は他人の目や耳よりも
自分白身の目や耳を信じた

父はある時親友の悪い噂を聞いた

父はある人からその友と交わらぬよう
忠告を受けた

父とその友との交わりは益々緊く愈々密となった

父とその友との交わりは互に信じて
終生変わらず五十年間続いた

(三十二)

父はある時二通の手紙を私に見せてくれた

父のみせてくれた一通は父を誹謗し父を中傷
したものであった
父を責めたこの手紙の主は父に迷惑をかけ
心配させた事務員であった
父はこのの人のためにどんなに尽力したか
このの人は知らなかった

父の見せてくれたもう一通は父を賞讃し
父に感謝したものであった
父を称えたこの手紙の主は父の片腕として働き
父の信頼厚き医師であった
父はこの人を公務上の後継者と望んでいたが
父よりも先に世を去った

父はこの二通の手紙を同じように大事に保存
していた

(三十三)

父は来客を愛した

父にとっては来客は一期一会の客であった

父は来客の為に寸暇をさいてこれを歓待した

父は手ずからお茶を入れて客にすすめた

父は客の去る時必ず自ら玄関まで見送った

父は来信を喜ぶこと来客に劣らなかった
父は来客に接する心を以て来信に接した
父は来信を待つこと待ち人に対するようで
あった
父は来信を丁寧に反復拝読した
父は来信に対してその日のうちに返礼を認め
自ら投函した
父の返信の遅れるのは旅行中か病臥中に限ら
れていた

(三十四)

父はじぶんのためには かねをおしん
父はひとのためにはかねをおしまなかった

父はじぶんのためには なをおしん
父はひとのためには なをおしまなかった

父はじぶんのためには ときをおしん
父はひとのためには ときをおしまなかった

父はじぶんのためには ものをおしん
父はひとのためには ものをおしまなかった

父はひとをせわすることをこのんだ
父はひとのせわになることをこのまなかった

父はあたえることをしって もとめることを
しらなかった          
父はねていてひとをおこすことはなかった

(三十五)

父は愛語の人であった
父の愛語に接すると
幼きものは祖父の如く慕った
父の愛語に接すると
若いものは慈父を感じた
父の愛語に接すると
老人は心から慰められた
父の愛語に接すると
病人は蘇り望をもった
父には
すべての人が他人とは思われなかった
父には
老人は親のように
若い者は子のように
幼い者は孫のように
思われた

(三十六)

父は大正七年出郷進学した私の求めに応じて
その写真を送ってくれた
父は私の求めに応じてその写真の扉に
次の文字を書いてくれた

 重大ナル責任ヲ顧ミツツ
 強固ナル意志ヲ以テ勇往
 邁進セヨ   作郎
世界改造第一年一月

父が教訓の文字を書き与えたのはその時が
ただ一度であった
父は文字や言葉で教えず自らの行いによって
教えてくれた
父の一挙手一投足はすべて私には無言の
教であった      
父は己の欲せざることを人に施すことはなかった
父は己の欲することを自ら進んで行い
矩をこえなかった

(三十七)

父は政治を好まなかった

父は政治よりも政治家を好まなかった

父は政治家よりも政争を好まなかった

父はしかし親友A氏のためには
自ら選挙事務長となって陣頭指揮に当った

父は同業K氏のためには
違反すれすれの選挙運動を敢えてなした

父は好悪の念をこえて
友人のために選挙運動をしたのであろう

父は身を殺して仁を成す
ことの出来る人であった

(三十八)

父はいつも唇にほほえみを
言葉にユーモアを忘れなかった
父は病める人悲しめる人怒れる人に
ユーモアを以て対した
父は非常の時も
平常のユーモアを忘れなかった
父に接する人は
父のユーモアによって慰められ
救われた
父が猫とユーモアたっぷりに
話しているさまが目に浮ぶ
父のユーモアは
たくまぬ自然さがあった
父のユーモアは
どこから生れたものであろうか
父のユーモアは
生きとし生けるものに対する愛
から発したものであろう

(三十九)

父は知の人であった
八十五歳で日向俳壇史を著したほどに

父は学を好む人であった
九十歳をこえて百科辞典を引いたほどに

父は情の人であった
浄瑠璃を聞いて涙を流したほどに

父は側隠の心厚い人であった
八十九歳で患者を慰め励ましたほどに

父は意志の人であった
五十年間宮崎神宮に万歩日参したほどに

父は一度決したことは貫行する人であった
六十年間一日の如く日記を続けたほどに

(四十)

父は慎重な人であった

父は石橋をたたいてわたる人であった

父はわたりかけた石橋を

途中で退却することはなかった

父の日記の扉には次のように書かれていた
 事ハ再考スベシ 三度考フレバ則チ惑フ

父は実に熟慮断行の人であった

父のノートには
 静定ノエ夫忙裡二試ミ
 和平ノ気象怒中二看ル
と書かれていた

父は実にこの文字通りの人であった