父 杉田正臣著

(五十一)

父は一年の計は元旦にありとし
 元旦は神宮参拝に始まった

父の元旦に始まる暁天日参は
 五十年間続いた

父は壮年時代は始業の朝終業の夕
一日二回神宮に参拝した

父は喜びにつけ悲しみにつけ
 神宮に参拝して祈りを捧げた

父の心身の強健はこの捨身献身の
 神宮日参によって養われた

父の日参した暁天の参道で私は
父の遥かなる足音を聞く心地がする

(五十二)

父は既有のものを最大限に活用した

父はそれによって生じた余裕を
 人のために尽した

父は贅沢を最も好まなかった

父は自らは古びた衣類を用い
 人には新しい品を与えた

父は金を貸すことを好まなかった

父は金を貸すよりは与えるのがよい
 といった

父は金を貸すことは忘恩の徒をつくる
といった

(五十三)

父は多くの良師に恵まれた

父の良師の中の最大の師は
 東大眼科の河本重次郎教授であった

父は二十代で河本教授の自宅に入門し
 後 大学に転じて師事した

父は日本眼科の父の下で日本で初めて
 学生の視力及び色盲の検査を行った

父は帰郷後も常に恩師に通信して
 教を乞うこと師の逝去の前年に及んだ

父は開業二十五周年の時
 二十有五年
 至誠只一貫
という恩師の祝辞を頂いた

(五十四)

父は多くの良友に恵まれた

父の良友のうち最も長く最も親しかっだのは
 岡峰寅次郎翁であった

父はこの土佐出身先輩に兄事すること
 五十年一日の如くであった

父の敬愛した岡峰翁は
 志士の風格ある信念の人であり
 ユーモリストであった

父は盟兄岡峰翁に
 戦時中疎開先から次の歌を贈った
  顧みれば五十有年はらからも
  親も及ばざりし君が情なりし

(五十五)

父は多くの良書に恵まれた

父は良書を師友のように敬愛した

父は若き日
 貧困のため良書を求めることが出来なかった

父は若き日
 父兄や先輩に良書を借りて丁寧に筆写した

父の筆写したのは
 東洋の古典から西洋の医書に及んだ

父の写本の幾冊かは
 私の文庫の中で光を放っている

父の読書は反復精読し抄録受用を旨とした

父の一冊の本は私の百冊の本よりも活用された

(五十六)

父はわが子にどんな教育をしたであろうか

父は幼年期のわが子に対しては
 専ら保健衛生に力を尽した

父は少年期のわが子に対しては
 専ら基礎学力の養成と
 身神の鍛錬とに力を尽した

父は青年期のわが子に対しては
 専ら専門学の基礎研究と
 意志の錬磨とを奨励した

父はわが子を教育する前に
 先ず自分白身を教育した

(五十七)

幼年の日
 父に手をひかれて末松の鶴を見た

幼年の日
 父に手をひかれて県庁を見た

幼年の日
 父に手をひかれて議事堂を見た

幼年の日
 父に手をひかれて大淀川を見た

幼年の日
 父に手をひかれて宮崎病院を見た

七十年近い今日
 父の大きな温かい手を憶う

(五十八)

少年の日
 私は父につれられて神宮に参拝した

 帰り道 人力車丁場の前を通った

父は ここの中をよく見てごらんといった

 家の中は往来から丸見えであった

 貧しげな食卓には 主人の車夫を中心に

 妻と子供たちが楽しそうに談笑していた

父はいった
 人生の幸福は家庭の団らんにあることを

(五十九)

青年の日
 父は私に絶対の自由を与えた

絶対の自由は絶対の不自由である

父の掌中で私は遊んでいたのだ

壮年の日
 父は私を信愛した

父の信愛に私は値したであろうか

父の限りない大愛に私は感謝する

(六十)

父は二十年近く産婆看護婦学校で
 修身を教えた
父の教えた徳目は
 皆自ら実践躬行した事柄であった
父は正直を説いた
父は誰よりも正直であった
 人に対しても自分に対しても
父は質素を説いた
父は誰よりも質素であった 親よりも子よりも
父は勤勉を説いた
父は誰よりも勤勉であった 親より子よりも
父は清潔を説いた
父は誰よりも清潔であった
 朝夕斎戒沫浴したほどに
父は親切を説いた
父は誰よりも親切であった
 他人も亦自分と思うほどに