父 杉田正臣著

(二十一)

父はいつも春風のように
にこにこして人に接した
たとえ持病の貧血による頭痛や
頑固な便秘による腹痛のある時でも

父は白己に対しては秋霜のようにきびしかった
今日出来ることを明日に延ばしたり
自分で出来ることをひとにたのんだり
そんなことは一度もなかった
日記はその夜のうちに
返信はその日のうちに
訪問や答礼も忙中自分でやった
祝辞や式辞は勿論 著書の校正など
すべて ひとにたのんだことがなかった
父はくつ下のつくろい
そでのほころびまで自分でやった
これが父の若い時から老年に至るまで
一貫した生活であった

(二十二)

父は人の短をいわなかった
父はわが長をいわなかった

父は人の短をきくのを好まなかった
父は人の長をきくのを好んだ

父は人の長をみつけてそれを育てた
父はわが短を知ってこれを改めるにつとめた
父はひとに多くを求めなかった
父はひとのふり見てわがふりを直した
父は一度交わりを結んだ人とは終生変わらなかった

父には去る者は日々に疎しということはなかった

父の晩年の楽しみは
救十年来の旧友へ便りを書くことであった

(二十三)

或夜M医師から電話がかかった
M氏はかなり酔っているようだった

父はそのころ医師会長であった
父はその夜公用で留守であった

M氏は父に対する不平不満を訴えた
父が公開の席でM氏の悪口をいったという

M氏は会長の親心を疑うといい
父が帰宅したら必ずその旨を伝えよといった

翌朝私はM氏からの電話を父に伝えた
父はただああそうかと云った

数日の後父は私にいった
M氏がお詫びに来たことを

(二十四)

父は人に克つよりも
己に克つことを欲した

父は己に克つ第一歩として
口腹の欲に克った

父は自らを動かすことによって
人を動かすことが出来ると思った

父は人を一度動かすためには
自らを十度動かすことを苦としなかった

父は名よりも実を尊び言よりも行を先にした

父はよいことは人知れずしてこそ
報いられると信じていた

父は人を博く愛すると共に天神を深く畏れた

 (二十五)

父は子のために祈り 子の無事を祈った

父は子の健康を祈り 子は父の無事を祈った

父は子を信愛し 子は父を敬愛した

父は貧苦の裡に学び 子は裕福の裡に育った

父は子を遊学させ 子は父に報いむと努めた

父はその妻を亡くし 子はその健康を害した

父は再び良妻を得 子は再び健康を得た

同居五十年 同業三十年

父は子の父であり師であり友であった

幽明相隔つる今も父は子のうちに生きている

 (二十六)

父は酒を好まなかった
父は酒よりも酒のみを好まなかった
父は酒のみよりも酒にのまれるものを好まな
かった

父はある夜突然酔漢に暴行された
父はその酔漢が酒ぐせの悪い知名の人である
ことを知った

父をけったその酔漢の靴は父の手の中にあった

父は黙して語らずただその靴を持ち帰った

父に暴行した酔漢はさめて狼狽し 人を介して
陳謝これつとめた

父はその暴漢の禁酒を条件にして一切を水に
流した

 (二十七)

父はイエス・ノーをはっきりした
父は軽々しくイエスといわなかった

父は軽諾は寡信を生ずるといった

父はイエスといったことは必ず守った

父は人に対する約束を守るのは勿論
自分に対する約束もかたく守った

父にノーといわれて心から父をうらんだ人は
なかったらしい

父のノーは一考二考の後その相手のために
ノーということが多かった

父はわが子わが孫に対してもイエス・ノーを
はっきりした
父の子である私は父のノーによって救われた
一人である

(二十八)

父は書物を大切にした

父には書物は一生を通じて良師であり
良友であった

父の書物には一点の汚印も線も兎の耳も
なかった

父は多読乱読を排し反復精読を旨とした

父は寸陰を惜しんで読書した

父のポケットにはいつも一冊の手帖と
冊子とがあった

父の読書は抄録に始まり受用に終わった
         
父は日本家庭百科事彙の葦編を三度絶った

(二十九)

父の若き日の愛読書が三冊残っている
         
父は十代の日 中村正直西国立志編を愛読した
父はこの書によって天は自ら助くるものを助く
ることを学んだ

父は二十代の日 徳富猪一郎の吉田松陰を愛読
した

父はこの書によって自ら信ずる道を歩むべき
ことを学んだ

         
父は三十代の日 福沢諭吉福翁自伝を愛読した
父はこの書によって独立自尊の道を学んだ

父の古びた三冊の本は立志と士魂と自尊の教を
残している

 (三十)

父は祖父に対して驚く程いんぎんであった

父の祖父に対する態度は師と弟子主人と家来
のように見えた

父は祖父のすねを噛らず医師となり
その頃既に若い医師会長であった

祖父は八十歳に近く田舎で神官をしていた

父は「親親たらずとも子は子たれ」
という言葉を愛していた

父と祖父との応侍は六十年後の今日も
ありありと私の眼前によみがえる