父 杉田正臣著

(十一)

貧しくて進学出来なかった父は
何を師としたであろうか
父は後年よくいった
田舎にはよい師が少ないので
出来るだけ本を借りて読んだことを
さらにそれを写本したことを
古事記 四書五経 万葉集
さらに医書まで丹念に毛筆で写した本は
その一部が今日まで遺っている
父は書物についで人を師とした
秋月種樹 石黒忠悳 河本重次郎は
終生思い出の恩師であった
尾崎紅葉 巌谷小波 荻原井泉水
俳句界の師友であった
晩年の父は天を自然を師とした
画家の弟がその道に行きづまった時
父に教を乞うことがあった
その時父はいった自然を写生せよと
弟は父の一言で迷がさめたという

(十二)

父は古い手紙の反古を保存した
それは丈夫な日本紙であった
父はそれでこよりを作った
食後の一休みのとき
遠慮のない来客のとき
家族との雑談のひととき
父の手はこよりをひねり
こよりからひもができた
それはだんだんふえていった
ひもの玉が一つ二つ三つ四つ
そのひもで父はものを整理した
雑誌 別刷 手紙 はがき類
それらがひもで分類整理された
整理整頓のもととなったひも
そのひもの玉が今も丈夫に残って
私にものの整理 整頓を求めている
子より ひも 整理 整頓
これは父の形見 父の思い出だ

(十三)

父はその日記の巻末に
その一年間を省みて
重要事項を摘録した
それは自分のためにも
また他の人々のためにも
一目瞭然として
一年間の索引であり
一年間の総決算であった
父は青壮年時代
その日記の巻頭に
年頭所感として
元旦試筆として
自作の俳句や和歌を
また自戒語として
自分の言葉や先哲の遺訓を
大きく清書した
若い日の父の求道心や志を
私はそこに発見した

(十四)

父は風呂の中でひとりごとをいった
ああ だれた だれた
父はよほどつかれていたらしい
そのころ父は年すでに七十に近く
三度推された県医師会長として
多年の願望たる会館建設のため
老体にむちうち東奔西走していた
風呂からあがった父のからだは骨と皮
私はハッと驚いてしまった
どうしてあんなからだで
あんなにがんばりがきくのだろう
たおれそうでたおれぬ父
私はひそかに父の背中に向かって
途中でたおれぬよう心から祈った
たおれることを恐れぬ意志
たおれてのちやむ覚悟
この気持で万事を遂行した父  
ついに昭和十一年会館が落成し
ついで昭和十五年五十年史が完成した

(十五)

父は年のわりにたいへん若く見えた
八十代の父が五十代の子と間違えられたほどに
父は不断の若返りをしていたのだ
勉強は不断の若返りである
からだの勉強として
早朝の散歩 腹七分目の食事
こころの勉強として
不断の読書 自然に親しみ 敬神崇祖
父の不断の勉強は努力にはじまり
やがて第二の天性となった
八十五歳でその著述に余念のなかった父
九十歳になってなお新聞雑誌を読み
不審のことは必ずじてんをひいた父
じてんをひけば必ず抄録した父
いつも人事を尽して天命に安んじた父
私はこの父の爪の垢を煎じてのまなかったことを悔いる
私はこの父の靴の紐を結ばなかったことを恥じる

(十六)

医者としての父は
一視同仁 親切を旨とした

医者としての父は
患者を子や孫のように思った
患者は父を親のように思い師のように慕った

医者としての父は
病める者の心を心として
食事中でも患者が来れば
直ちに箸をおいて立ち上がった

医者としての父は
自然の治ゆを信じ
徒らに人工を加えず
最後まで希望をすてず
患者を慰めはげまし安心を与えた

(十七)

父は自分に出来ることは
何事でも決してひとにさせなかった
父は自分に出来ることは
何事でも決してひとにたのまなかった
父は他人にも肉親にさえも
迷惑をかけることは一切しなかった
父は切手を集めるのに
八十歳を越えて自ら局の前に立った
父は衣食住とも質素を旨とし
出来るだけ廃物を活用した
父の六十年前つくらせたメス類を
その子はありがたく使っている
父はどんなものでも保存手入れを怠らなかった
父は女中や看護婦の仕事を
ていねいに自ら実演して指導した
父は召使を使いに出すとき
ゆっくりわかりよくくりかえしておしえた

(十八)

父は一冊の本を私の机の上においた
その本は長くそのままのことがあった
私はその本を開かずに父の机の上においた
父はその本についてなにもいわなかった
そのころ父と子とは
それぞれ自分の道を歩いていた
父が今にもいわず一冊の本を
私の机の上においたのはなぜだったろう
父が読んで私にも読んで欲しいと思って
私の机の上においたのではなかったか
父はなにごとも人に強いることがなかった
父は黙って私の読むのを待っていたらしい
父の晩年をのぞいて父と子とは
おのおの自分の道を歩くことに余念がなかった
たといその境涯に天地の差があったとしても

父の広い大きい愛を私は今しみじみと感ずる

(十九)

父は忙中いつも閑日月があった
父は仕事をおいかけることはあっても
仕事においかけられることはなかった
父はおのれを知っていた
父はいつも自分のペースの中で
ベストをつくしていた
父はいつも欲を少なくして
足ることを知っていた
父は出来もせぬことをひきうけたり
読みもせぬ本を買うことはなかった
父の一冊の本は私の百冊の本より役に立った
父は会長をやめて次の会長の下で理事をつとめた
父は名利のために公職についたことはなかった
父は不及園と号し
いつも人をとがめず
じぶんの誠のたらぬことを反省した
父は国粋を愛すると共に
いつも時代の進歩におくれぬよう努めた

(二十)

年々におもひやれども山水を
汲みてあそばむ夏なかりけり

これは父の最も尊敬した明治天皇の御製だ
父はこの御製を好んで愛用の白扇に謹書した
九十一年の生涯中
一度も避暑避寒をしなかった父
この父に避暑避寒をさせ得なかった子
孝行のしたい時には父はなし

いたずらに風樹の嘆にくるゝ愚かな子を
在天の父はあの温かい笑顔で
見守ってくれるであろうか

在天の父よ
この憐れむべき愚かな子を
許したまえ