田辺聖恵 の検索結果:
…れるという事だ [宗教選択]−了解選択のない宗教は形だけの信仰や習慣になる。選択資料を提供出来ない宗教はそれ自体が選択される。単なる信仰は教義を持たず偶発的な力への信頼期待となる。そうした事への是非批判から宗教教義は始まる。 『宗教への毛嫌いは一種の無知対応』 選択は理知によるものと感情によるものがある。人間にある理知欲求を当然なものとすれば、現代宗教はそれを満たすものでなければならない。二千五百年前に解明された 釈尊仏教はその点において第一級の現代性を持つものだ。 田辺聖恵
…このように「せしめられて」行くということが正導の旅においても生きていなければならないということ。しかも。その旅そのものが仏教者の生き方そのもの、毎日毎日、一ケ所に定着してしまわない、一所不住なのである。北方仏教になると、己の覚りより他を先に悟らせよーとなってくるが、それは、己れの覚りが基本であってのことは勿論である。こうして正導の実践によって、己がいかに分っていないか、未到であるかが知らされ、次第に己が深められてゆくものである。 三宝 第93号 1981年6月1日刊 田辺聖恵
…行静止せる安楽境に到るべし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二五 比丘品 七四頁) 安楽に至る 慈悲の心に住まい、ブッダの教を信じ喜ぶビクは、はからいやみ、静まりたる安楽の所に至らん。(田辺聖恵訳) ◎ブヅダの慈悲は大慈悲。われわれも慈悲の心を持つのがむしろ普通。大慈悲に頂かれていると、悪心も善心とならざるをえない。心が柔らいで初めて、仏様に敬順できる。その素直さから、正しい理解が生じ、下手な考えが納まる。心が静かになって、そこから真の活動が展開する。(田辺聖恵)
『自愛と愛他』 誰だって自分が一番大事だ この自愛心があればこそ生きている これが傷つけられれば必ず反発する 愛他心は確かに大切な事だ それなのに難しいのは何故か 結局は生命が発達途中だからだ 人間は決して悪魔でも神でもない それなのに時にはそれ以上にもなる 自愛と愛他の兼合いを考えて行こう 田辺聖恵
…経 第23巻 小部経典一 法句経 二五 比丘品 七四頁) わがもの無し すべてのものと心にわがものとの思を起さず、無くなればとて悲しまざれば、その人こそビクと云わるる。(田辺聖恵訳) ◎永久不変のものは何一つない。これが仏教の哲理。従ってすべて相対的であり、変化してゆくのだから、真に己のものというものは有り得ない。この厳然とした事実にゆきつけば来るも去るもすべてありのまゝ。怒も悲もない。あれば己が作り出しているにすぎない。仮に支えられているのなら活かすより外ない。(田辺聖恵)
『精進』 精進というコトバは 仏教語ではあるが 一つの事に 打ち込み打ち込み 継続し 時に心の在り方を考えれば まさに精進 安易に流れるのが 一般性向ではあるが 精進化することによって 道をつくれば 比べようのない充実と喜びを得るものだ 一芸に通ずるものは万芸に通ずではあるが その一芸ですら十年二十年を要するものだ 精進という言葉が私を見詰めるようになる 田辺聖恵
…23巻 小部経典一 法句経 二五 比丘品 七四頁) ねたみ みずから得たるところをさげすまず、他の人々をねたみて行うなかれ。他の人々をね たみつゝあるビクは、サマーディに到達せず。(田辺聖恵訳) ◎得たるところ、到達した心境のことであろう。自他を比較して、こんなふうではつまらない、早くあんなふうにならねばと、求道は競争ではない。人より偉くなることでもない。己の道を確実にふみしめることによって根深い嫉をたゝき潰さねばならない。己を信ずることが道を信ずることでもある。(田辺聖恵)
『人間を超えるもの』 人間らしくという言葉は美しい だが人間主義ともなればごう慢になる 人間を超えるものへの尊信がないからだ 家庭に宗教がないのは悲劇だ 幸福主義はガラスのもろさで成り立つ 人間を超えるものが生き方の支えなのに 謙虚に生きる事は難しい 人間同士ではとかく優劣上下で対する 人間を超えるものに対してこそ謙虚なのだ 田辺聖恵
…比丘品 七三頁) 意義 口をつゝしみ、聖なる言葉を語り、心しずかに、意義とダンマを明らかになすビクのその説くところはうるはし。(田辺聖恵訳)◎釈尊仏教は、ダンマ(正法=真理=縁起=空=本願)が中心である。これのぬけたプヅダは架空のもの。ダンマを中心にその意義を考え、語りあうところ信と行が展開される。沈黙は何ものも生み出さない。意義を考え、その意義を信仰するところに仏教徒の平安がある。聞法が知を伴わねば単なる暗示方式となってしまう。本願が正法と受け取られる日も近い。(田辺聖恵)
『浄福』 何らかの信仰 何かの宗教を持って 浄福を得てゆくことが望ましい そこに心の豊かさと喜びがあるものだ ことごとに一所懸命 頑張るとして あまたの縁大いなるものの縁を知らねば そこに慢心と虚しさが生じてくるものだ 聖なるもの 帰依するものがあれば 浄福の光りがさしてくるに違いない そこに謙虚と充実が生じてくるものだ 田辺聖恵
…しみ、足をつゝしみ、言葉をつゝしみ、最上者をつゝしみ、内心に喜び、心を統一し、ひとり住みて満足なす者、かれを人々はビクと云う。(田辺聖恵訳) ◎仏教の身体論は、手にての行為、足をもっていずこにゆくか、何を語るか、心の統一はいかにしてするか、どのように住み生活をするかという、全く具体約なものである。 内心の求道と喜び満足が、それと一致して心身一如となる。信心と行動とがバラバラでは救われも覚りも本物にはならない。こゝに.生きた人間としての実際的、自己実現の宗教がある。(田辺聖恵)
『縁』 毎日々々 様々な縁によって生かされる 時には 顔がほころびるようなご縁 時には 顔をしかめるようなご縁 明るい心 積極的な心を持っていれば 素晴しい縁に恵まれるものだ もともと縁は無数一杯にあるからだ 学ぶ心 積極的な行動をしていれば 思いがけない縁に恵まれるものだ 限りなく生かされる世界であるからだ 田辺聖恵
…経 第23巻 小部経典一 法句経 二四 愛欲品 七二頁) 雑 草 田は雑草を過失とし、この人はむさぼりを過失となす。このゆえにむさぼりをはなれて人に施さば、大いなる実りあり。(田辺聖恵訳) ◎この頃はやたらと雑草が多い。精神生活を花と咲かせ、真の実りを得るためには、施を真剣に行わねばならない。何かつねにもの欲しそうな期待信仰では、心の雑草としかなるまい。一方、施を受けるに値いする宗教者が世に現われねばならない。それは大衆が育てるものでもある。施善と施法が世の光り。(田辺聖恵)
『宗教・生き方学』 高貴さを持つ宗教であれば 自我欲を離れることを徳とし 大いなるものへの信帰を最上とする たとえどの様な凡悪であろうと 悟り救われの可能性を与えられ 自己転換の道を歩むものである どの様な宗教によって導かれのか どの様な生き方学によって進むのか 人は常に問われ続けているものである 田辺聖恵
…) 財の活用 財産は愚かなる者を害す。されど彼岸を求むる者を害さず。財産への愛着によりて、愚かなる者は他をも自らをも害す。(田辺聖恵訳) ◎浄福や聖なる宗教的境地を求める者は、財物の本当の利用法を知っている。たゞ金さえ貯まれば幸せになると言う時代はすぎた。これからはいかにして精神生活にそれを活用するか。家中でそれを考え、協力することが大切になる。日本人の本質は決してお金だけを頼りにするものではなかったはず。お金を軽視するのも本物ではない。施をしてその有難さが分る。(田辺聖恵)
「弱さと平和」 自己の弱さを自覚することが 人間らしい人間になる第一歩 そこでは戦争など起こしはしない 弱いからこそもう少しもう少しと 努力をつみ重ねるものなのだ そこに人間向上の道がかくされている 弱さがあるから反省もする 心も豊かになり考えもする やがて本当の平和をつかむのだ 田辺聖恵 https://blog.with2.net/link.php?958983"/人気ブログランキングへ
『新鮮にして自己革新』 革新とはあらためて新しくなる 日々これ新た 面目一新 日進月歩 旧態を脱しようとする願望の言葉だ ただ単に変えた所で自己革新ではない そこには活力の裏打ちがなければならない そこには行動の実践がなければならない 持っている能力で様々に工夫してみる 自分なりのヒラメキに呼び水をかける いかにも新鮮な喜び それが白己革新なのだ 田辺聖恵
…楽に勝ち、愛欲の滅盡は一切の苦に勝つ。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二四 愛欲品 七二頁) 四つのまさり 法の施しは一切の施しにまさる。法の味は一切の味にまさる。法め楽しみは一切の楽しみにまさる。愛欲の断ちきりは一切の苦しみにまさる。(田辺聖恵訳) ◎法の楽しみは真理の完全理解体得(慧解説)、愛欲の断ちきり(心解脱)この理性・感情、両面の完全さが悟りである。施しから始まった仏教は、悟後の施しとなる。まさに仏教は施から始まり無限に施してゆくものである。(田辺聖恵)
『優れた宗教』 何らかの利益や幸福なくしては 多くの人が求めるものとはならない 宗教が聖と俗の面を持つのもその為だ 一人の人が熱心に求めるものという事は 多くの人が求め得るものであるべきだ それでなければ道となる事は有り得ない 利益や幸福には種々に高低があるが 優れた宗教はその総てに理解を持ち 次第々々に高次志向をうながすものだ 田辺聖恵
… われは一切に勝てる者、一切を知れる者、一切諸法にけがされず。一切を捨て、みずからよく了知して愛欲をほろぼし解説せり。誰をかわれは師と云わんや。(田辺聖恵訳) ◎これこそ釈尊の覚りの宣言である。人間を含めたすべてのものが、縁起性であり、執着すべきものでないことを完全に知った。従って、執着という自ら作った束縛を解き、愛欲にも勝ったのである。師を必要としなくなったとは自ら師となったことでもある。ここから、一切衆生への救道の旅が始まる。勝利という輝やかしい道の正導で始まる。田辺聖恵
『四つの壊れざる信仰』 信仰の流れに入って後返りしない その様になれば何と素晴しいことだ そこには平安と充実と意義があるからだ 三宝と規律の四つを信じて疑わない この様に壊れざる信仰に行きつくとしたら 迷いを重ねてきた人生を終わらせられる ただ忙しくして人生の意味を考える事もない 暗闇から暗闇に行く人生であってはならない 光りの中を歩めとの釈尊に耳を傾ける事だ 田辺聖恵
…もつ者、大智者、大丈夫と云わる。(田辺聖恵訳) ◎のぼせが下って初めて意味合いが明らかになる。適当なコトバの必要性が分る。意義と文句コトバを重視する仏教は、教育の原型を二千五百年前に樹立している。最後の肉体とは、動物的な生き方を終らせ、真の宗教に生きる〜その活動に踏み切ること。コトバなくして伝達することがいかにあやういか、日本人は気付こうとしない。経典はコトパの洪水であるが選択の資料でもある。原点に帰る可能性がそこにある。自己への信頼なくしては、求道は始まらない。(田辺聖恵)
「お浄土とは何か」 田辺聖恵 愛知県の佐藤幸隆善友よりのお便りに『・・死ぬことは間違いない自分、やはりたまらなく恐ろしくなるのです。七十才になった病気がちな父親に、早く歎異抄やおシャカ様の話をしてやりたい。聖恵先生の浄福を読ませて頂きながら、父を思い出し、目頭があつくなってきます。ほんとうに有難く思っております。 この間、社会科の授業で平安時代の浄土教のことが出てきました。『先生極楽浄土っていうけど、極楽や地獄ってあるんですか?』と質問されました。『あると思います』と答えると…
『二者互恵』 幸いと楽 得んとせば 三宝信じ 施をなして 規律を守り 真理へ進みて 正導 行ずべし この様に釈尊は在家信者の在り方を説く どの様な思想どの様な宗教生活をするか 明瞭にして直ちに可能な実際の道だ 出家の修道者は法を施し 実践を示し 在家の信者は信受して 財施を行う 二者の法施と財施はまさに互恵真理の実現 田辺聖恵
…二四 愛欲品 七一頁) 思いを静めよ 思いの静まるを喜び、肉体の不浄観を修し、つぬに念ある人、かれは (愛欲)を終らすならん。かれは魔王の束縛を断ちきるならん。(田辺聖恵訳) ◎肉体的な愛欲を最大の煩悩とするが、その根本は無明・無知であることを同時に考えねば仏教にはならない。愛欲のもう一つ先に無明があり、すべてが縁起性、相対的であることを了解することで、ノボセが下がってくる。欲煩悩=悟りではない。欲煩悩の根源を知らねば単なる愛欲肯定、単なる有難や〜の信仰に堕する。(田辺聖恵)
『事実仏教』 釈尊が真理法を悟られた事実がある 真理法とは総ての事実の筋道である この事実としての筋道から仏教は始まる 釈尊が縁起空を悟られた事実を信ずる 事実を信じれば必ず事実の結果となる この事実への信仰から仏教者の道が始まる この大いなる事実に総て包まれながら 未だ知らなかった己の事実を変えてゆく 認識体得し伝える事実に変えてゆく仏教 田辺聖恵
…しとみる人には愛欲はますますつのるなり。かくのごとき人はまことにその束縛をさらに強む。(田辺聖恵訳) ◎浄く、美しく、愛らしきもの、といった心情によって支配され易いのは日本のみではない。むさぼりの心がある間は、真実、浄福を見ることが出来ない。当分の好き嫌いを基準にして一切を見るからである。学習が必要なわけだ様だが、それが直ちに束縛になること。欲求が満されることは一応幸福を考えねばならない。つまり欲望は苦楽の両面をもつので、楽はどろ沼であることを正視しなければならない。田辺聖恵
『真理仏教』 欲望満足となり易い世俗の幸福と 真理実践という聖なる幸福と 釈尊は明らかにその別を説かれた あまりにも宗教性を失った日本で 今もっとも必要なことは何か 釈尊仏教の伝達に外ならない 真理が真理として説かれない限り 現代人は仏教の本質に入り得ない ようやくそうした時期になって来た 田辺聖恵
…はなれよ、現在をはなれよ。これ生存の彼岸に至れるもの。こころ一切の所に解脱せば、おんみはふたたび生と老とにゆかざらん。(田辺聖恵訳) ◎仏教は、過去・現在・未来の三世観、現実の歴史的、自然的因果の事実を土台にする。そして己の価値追求としてこの三世にとらわれず、正しき理解を経て超越することを覚りとする。そこには暗黒の人生のくりかえしがな死んだらすべて無くなるといった間違った人間観では真に死後を畏れることが出来ない。解説への希求は生じない。未来をいかに畏れるかが問題。(田辺聖恵)
『真理法中心』 真理法を中心に据える事は いつの時代いずこの地にも適当する 教育と体得伝承の可能性があるからだ 釈尊の仏教は真理法中心である 一切は相関互恵するという縁起論である その真理性は最新の科学が証明しつつある 真理法中心は生き方の真髄である 生死を含み生死を超える生き方である 人生の目的と行動を価値化するものである 田辺聖恵