宗教の時代

 『宗教の時代』
日常の幸不幸も 因あり縁あり
日常を超えた聖なる境地も 因あり縁あり
人はまずこの因と縁に気付かねばならない
 日常の物心を求めて得られれば 幸福
 宗教的教えによって物心に対すれば 浄福
 宗教の一端を何がしか荷なえれば 聖福
物が豊かになって心の時代だという
それは宗教を選択する自由という事だ
それは宗教がより純粋になれるという事だ

 [宗教選択]−了解選択のない宗教は形だけの信仰や習慣になる。選択資料を提供出来ない宗教はそれ自体が選択される。単なる信仰は教義を持たず偶発的な力への信頼期待となる。そうした事への是非批判から宗教教義は始まる。

    『宗教への毛嫌いは一種の無知対応』
 選択は理知によるものと感情によるものがある。人間にある理知欲求を当然なものとすれば、現代宗教はそれを満たすものでなければならない。二千五百年前に解明された
釈尊仏教はその点において第一級の現代性を持つものだ。
                          田辺聖恵

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