三宝聖典 第一部 六二項 三つの邪見

三つの邪見

時に世尊、祇園精舎にてビクらに法を説きたまえり。

「ビクらよ、ここに三つの邪見あり。その第一は、人間がこの世において経験なす、いかなる苦も楽も、苦にあらず楽にあらずも、すべて前生の行いの因によるとの主張なり。第二はこの世のすべては、自在天の作りなせる因によるとの主張なり。第三は、この世のすべては因も縁もあらずとの主張なり。
 
ビクらよ。第一の主張に対してわれは正当に非難なすなり。

『もしその主張正しければ、この世の殺生も盗みもみだらも、いつわり、悪口、かざり言葉、不和語も、むさばり、怒り、邪見も、みな前生の行いの因によると言わねばならず。かくのごとく、すべてが前生の行いの因によりて定められてありとなすなれば、衆生はこれをなすべし、これをなすべからずとの、欲求も希望も努力も持ち得ざるものとなるなり。かくのごとくなすべきことと、なすべからざることを真に知り得ず、迷うて五官を守らざる人は正当の仏教徒とは言えず。』と。
 
また第二の主張に対してわれは正当に非難なすなり。『もしその主張正しければ、殺生の起きるもないし邪見の起きるも自在天の作りなせる因によると言わねばならず。かくのごとくすべてが自在天の作りなせる因によるとなすなれば、衆生はこれをなすべし、これをなすべからず、との欲求も希望も努力も持ち得ざるものとなるなり。』と。
 
また第三の主張に対してわれは正当に非難なすなり。『もしその主張正しければ、殺生の起きるもないし邪見の起きるも、因も縁もあらずと言わねばならず。かくのごとくすべてが因も縁もあらずとなすなれば、衆生はこれをなすべし、これをなすべからずとの、欲求も希望も努力も持ち得ざるものとなるなり。』と。
 
ビクらよ。つきつめれば、この三つがこの世のすべての働きを否定なす邪見なり。

賢き人はそのあやまりを確かめて、人々にこれを捨てさせんとなすものなり。しかるにわが説く法は非難せられず、けがれに染ぬことなし。そは四聖諦の真理なり。」
南伝一七巻一望八〇頁増支部二集第二
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