三宝法典 第二部 第五四項 デーバダッタと供養

デーバダッタと供養

時に世尊、正導の旅をなしたまい、ラージャガハに帰りて城外の竹林精舎にとどまりたまえり。これより先、雨久しく降らず、稲かれて食を乞うに難くなりたり。

すぐれしビクらは所々にて食を得たれど、デーバダッタは思うにまかせず、それがわが身に神通力を得ざるがゆえなりと思い、ある日世尊のみもとにまいりて、神通力を得る道を問いたてまつれり。世尊は、

「デーバダッタよ、神通力を得んとなすよりも、変化、苦、空虚、本体なしの真理を思うべし。」

とこれをしりぞけたまえり。デーバダッタはこのみ教えを喜ばずして不満をいだけり。

その夏、世尊はビク衆を伴い、コーサンビーにおもむきて安居をなしたまい、サーリプッタモッガラーナアヌルッダ、アーナンダら、もろもろの弟子たち、互いに和合して道を語るをつねとせり。

デーバダッタは、われ一人、他よりうとまれつつありと思い、サンガを捨ててラージャガハにおもむけり。

かくてかれはビンビサーラ王の子、アジャセ王子の帰依を得んと、王子を訪れ、種々の手段をなしてその心を奪い、その帰依を得てラージャガハの近くに室を建て、毎日多くの車にて衣食の供養を受けたり。

かくのごとく若き後援者を得たるデーバダッタは日に日にその勢いを増し、世尊のサンガのビクの中にもかれのもとに走るものもありたり。世尊はかれが物の利益のために、王子の供養を受けつつあるを聞かれてビクらに仰せられたり。

「愚かなる者は、物の利益をむさぼる思いをもととして悪を増すものなり。さながらするどき刀が首と足を切り離すがごとく、そは清き功徳を断ち切るなり。清き行いを修むることを忘れ、いたずらに人々をまねき寄せ、みずから大衆の上に立ちて、法の主とならんとなすなかれ。

もし一方に利益を求め、しかも他の一方にニバーナを得んとなすなれば、前の思いがわざわいとなりて、後の心をむさぼりの心となすならん。かくてみずからをそこない、他をそこなうなり。おんみらデーバダッタをうらやむなかれ。
  実を結ぶ バショーは枯れて   実を結ぶ芦も枯れゆく
  ら馬は子を産みて死するごと  悪人はその名誉にて殺さる。

南伝一二巻相応部第六梵天相応第二品

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