釈尊が説く法句経

釈尊が説く法句経」

      第一章 対句
 ものみな心を先導とし、心を最上とし、心よりなる。けが
れたる心にてもの言いかつ行うなれば、ひく牛の足に車輪が
従ごうがごとく、苦しみが従いきたるなり。一
 ものみな心を先導とし、心を最上とし、心よりなる。清き
心にてもの言いかつ行うなれば、形に影が従ごうがごとく、
楽しみが従いきたるなり。二
 かれ、われをののしれり、打てり、われを敗りたり、わが
ものを奪えりと、かくのごとくうらむ人々に、うらみの静ま
ることなし。三

 
 巻頭の法句はこの度刊行予定の「法句経」の部首である。すでに法句経(ダンマ・パダ)の名称をご存知の方も多いであろうが、これを座右銘のごとくなさる方は皆無に近いのではなかろうか。これは釈尊が直説されたものを、直弟子たちが記憶奉持して、後に書物化されたものである。それぞれが短文で詩句の形をとっているのは、又所々に身近な譬えをまじえてあるのは、釈尊の詩ごころの現われでもあろうが、理解し易く、かつ憶え易いようにと配慮されての事である。

 仏教は神秘力を中心にした信仰ではない。文字通りの、ブッダ釈尊の教えであるから、分からねば話にならない。分かってもその場かぎりで忘れられてしまうのでは、何の効果ももたらすことにならない。

 ボダイ樹の下で、「一切は縁起する」という真理(ダンマ)を悟られた釈尊、この真理によって解脱される。縁起という言葉も(同じ意味の空も)日本では日常語化しているが、それだけに大いに誤解使用されている。文学的に転用され拡犬解釈されてゆくと、本来のものとはまるで違うものになる。

 日本人の大半が家としての宗旨を持ちながら、その大半が仏教を聞いたことも読んだこともなく、従って必要性を感じことがないという、無宗教国民になったのは何故だろうか。

 大半の人が俳句や短歌を好み自分でも作ってみるという高度な文化性を持ちながら、お経は分からないものとしてかたづけている。これはやはり説者導者の方に問題があったとせねばならないであろう。それは後期経典のみが採用され、原始経典が伝承されなかったという事に根本の原因がある。

    人と生まるるはかたく、生命をながらえるはかたし。
    正法を聞くはかたく、諸仏の世に出でたもうはかたし。

これは182項であるが、釈尊ご自身が、真理正法(ダンマ)の普及困難を感じられておられたからのお言葉であろう。
誰でも何らかの目前の苦悩から聞法したり、教養として仏教書を読んだりはする。だが人間釈尊の真意がどこにあったかと追求する人はごくまれであろう。であれば仏教哲学に会えても人間釈尊に会うことは難しい。釈尊時においてすら、神秘を説かない釈尊に追随出来なかった人があまたいたし、現在のインドに仏教者はほとんどいない事でも、正法(真理)が伝えられる事の難しさを示していると言えよう。

 だが幸いな事に、この百年前から、原始経典が求めさえすれば誰でも読めるようになってきた。つまり原始志向が働き出したという次第である。この法句経の訳ならびに解説書も十指に近い。だが解説は啓蒙にはなるが経典そのものではない。私が心がけてきたのは、この経典化である。  田 辺 聖 恵  「三宝 159号」
 
 残念ながら原稿は完成していたものの、経典化の実現はかないませんでした。(未到散人)