法句選 #25(聖典学習)

    聖典学習』
読み唱えざるは聖典のけがれ
いかに優れたお経や教えでも
学習されねば無きに等しくなる
 仕事や生活また宗教においても
 それを勤勉に行うのでなければ
 その人の実りになることはない
信じて次第に理解を深め実行する
それらが真理を中心にするゆえに
真実和合の社会の広がりにもなる

読み唱えざるは聖典のけがれ、勤勉ならざるは家庭のけがれ、(化粧の手入れをせざる)おこたりは(美しさが失わるる)けがれ、子らのわがままは守護者たる親のけがれなり。

聖典学習] 聖典を読み唱えるとはその人の言葉を通して学習し、理解と実行へ進む事である。釈尊の仏教はほとんど儀礼がない。修道と生活の実質があるのみだ。華麗な殿堂や祭礼は仏教の実質を覆い隠し分からないものにする。

   『聖典学習はその人の言葉にする事から始まる』
 聖典の学習は勤勉に常時なされねばならない。一時の感動などでは実行にまで至らないからだ。釈尊仏教においては三宝を信じる事から始まるが、信者においても真理の学習と生活化が善しとされる。単なる観念信仰でないからだ。


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