出家と在家

「出家と在家」
今時、出家者と在家者を分ける本来の仏教は、いかにも古くさい様に思われる。仏教の場合、古い新しいが判断基準ではない。何が本物か、何が亜流かということが基準である。   
 何が本物かということは、何が本質かということでもある。仏教は人間の本質をさがし求め、その本質は縁起性であるということをつきとめ、それを人間究極の真理とし、それを体現することである。
 この様に人間としての究極を自己の生き方の上に現わしてゆくのであるから、生やさしい学と習では出来ない。愛欲を主とした家庭の中でそれを実現するには、よほどの天才でなければ不可能であろう。仏教はそうした天才の道ではなく、誰でもが、その道に入りさえすれば自己実現が出来る万人の道である。決して非凡の道ではない。このラッタパーラ経がそれを示している。たゞ一回の釈尊のご法話を聞いてその道に入ろうとする、もしそれが非凡なる道であるならば、本人がもっとためらい、入門するにも時間がかゝるに違いない。それは未だかって見聞したことのない喜びの道であったのである。父母や妻の愛情ある生活とは較べものにならない道。なるほどそれは一般の人が求める幸福の道とは違う。
 しかし父母と妻は、その道の喜びが想像もつかないから、喜び幸せを捨てる悲そう極まりないイバラの道としか思えない。そこで何とか思いとゞまらせ様とする。この短いお経に人生のドラマというか、幸福への道と幸福をさらに超える道−そのすべてが語りつくされている。短いお経としてはハンニャ心経が代表の様に云々されるが、それは空を説くその一点しかない。つまり修道者としての肉体および生活が無い。そのためか、これを呪文として唱え、病気直しの、一種の暗示療法に使われる事が多い。この心経の原作者はさぞクシャミでもしている事であろう。
 心経に限らず後期仏教経典は空の哲学を説くに熱心なあまり、修道者としての修道〜生活道がほとんど説かれていない。その為か、呪術から脱皮したはずの仏教が、いつの間にか、信者の希望に迎合する様な呪術信仰に後もどりしてしまう。釈尊の仏教は釈尊ご自身が一個の人間として生活して居られたから、生活を離れた観念論を説かれるという様なことはなかった。
 一個の人間として、いかに生きるべきかーを自ら体現して居られる釈尊の法話であるが故に、これを聞いたラッタパーラは、すじ道とその体現のお手本を見聞する事によって、入門を決したのである。
 原始仏教は、人間としての理想者である釈尊をブッダとするが故に、肉体をもった人間の生き方としての仏教となっている。
 映画評論家淀川長治さんは、その道ひとすじの為にと、今でも独身である。今でも芸術家で独身の人は何人も居る。女性でも一芸の人はこれからますます独身が増えるであろう。父母役割り分業論も大いに必要ではあるが、一方ではその道専修のために独身である事も大いに認められねばならない。文化はその方向に進んでいる。
 宗教者がその独身専修なるが故に尊敬と信頼を寄せられていたという、釈尊の時代はよほど高度な文化の時代と云わねばなるまい。何故なら一般大衆がしかも非仏教者でも、こうした専修者を認め、時には施食を奉仕してその生活を支持したのであるから。
 確に、その当時の王達たちは国のぶん取りっこをしていた。しかしその王達ですら、釈尊とそのサンガや別の教団も保護し、教えもかなり聞いていたのである。今日と比歌すれば、今日者として赤面の至りと云わざるを得ないであろう。特に宗教者は。
 愛欲は束縛
 この経で実に感銘が深いのは、ブッダ(理想者)である釈尊が、「禿頭の悪シャモン」とのゝしられていることである。日本仏教の歴史においては想像もされなかった事である。こゝに、くさされても、褒められてもそれに動じない、世間を超える道を説かれた釈尊が、まことの実像として明らかにされる。
 金銀の施こしによって、ご利益を願うということは、今も昔も変らない。大学受験ともなれば、天満宮さんはホクホク。菅原さんもまたぞろクシャミをなさっているに違いない。商売繁昌と少々道徳の色づけをしたもっともらしい信仰は今や花盛り。
 こゝで仏教への誤解を解かねばならないだろう。この様に「出家者の道」をもって、出家仏教は人間の本質に反する、だから誤りだという誤解である。日本の仏教歴史によればその批判も一部正しい。
 何しろ日本のお寺というものは、そのほとんどが天皇や殿様、つまり権力者によって建設されている。しかも僧侶は全部世俗の法律によって敗戦時まで千三百年も支配されてきた、という実に驚くべき事実。もっとも多くの人はそれを驚きとは思わないであろう。僧侶自体がそこに安住したとしか考えられない。日本の寺に入るということは、メシが喰え、時にはその中で階級が上り出世するという、サラリーマン稼業と本質的には変らない。かっては雲水修行の旅をした者もあったが、いつかは寺に入る、すると生活が保証されてくる。なるほど女色は形だけでも禁じられた。られたである。そのひき替えというスリ替えでもないのだろうが、やたらと酒を飲む話が多い。ヨロイの上に衣を着たり、短歌俳句に明け暮れたり、どうも安住者と風流者が多すぎて、純粋僧侶?は十指に足らない。
 一方では「在家仏教」が本物だという説がある。出家者であった釈尊は古くさいと明言する集団が何百万という信者を寄せている。こうなるとお釈カ様もクシャミするなんて云っておられない。
 「出家集団サンガ」と「在家信者の人々(非集団・非組織)」この二団が一組みになっているのが釈尊仏教の教団である。両者が『互恵関係』にある。それはまた仏教真理『変化・互恵』の体得実践である。その両者を結ぶのが『托鉢乞食→←信施供養』
 この最低ギリギリの結びつきを通して、専修者は法施をし、信者は財施をする。そこに権力が割込む余地もなく必要もなかった。
 そこには、自発を行動原理とするすぐれた民主をこえた、大衆性があった。そこに今日の日本の民主主義を打解する、高度な大衆主義を見出す事が出来るであろう。真理を尊敬理解し、その実践への仲問づくりをする所に、人間の本質に根ざした大和合の集団が現われてくる。その片隅の一員でありたいと、私は願って止まない。

三宝 第114号 1983年3月8日刊 田辺聖恵