在家としてどうするか

  「在家としてどうするか」
 王権からの独立
コーサラ国は、釈尊出生のシャカ国の隣り、後にシャカ国を併合する大国である。この大国の王パセーナディは世尊(釈尊)の評判を聞いて自ら訪問する。これは釈尊はじめ弟子衆すべて出家であるから、別に王にとり入る必要もなく、王様から独立していたことを意味する。これと比較して考えられるのは、孔子様やその弟子衆である。彼らは自ら王を訪問したり、招かれたりして、自分の政治的学識を述べ、大臣として採用されることを期待した。
 又、日本の仏教の場合は、天皇の採択によって導入され、寺院なども建立されて大いに支援されたが、その第一の理由は、政治がうまくゆくようにと祈ることを僧に期待されたからである。一方では僧尼令という法律で取締られていたのだから、王権、政治権力からの独立ということは無かったのである。鎌倉時代になって、個人の覚りや救われという本来の仏教になってはきたが、法然上人や親鸞聖人は、天皇によって追放されたりしている。徳川時代ともなれば、お寺にダン家制度を設け優遇すると同時に、寺社奉行が管理する。明治になると、「僧侶は、肉食妻帯勝手たるべし。」と政府が許可。こうしてみると日本には、仏教としての独立性は一体あったのかと大いに疑問になる。
 王権からの独立ということは、政治という世俗の力によって支配されないということである。それは王権にコビたり、政治を論じたり、特別の支援を受けたりしないことである。仏教は、一個の人間が、自己の本質に目覚め、人間の生き方に徹することである。これは今日では当り前のように思えることでもあるが、長い間封建制度で、政治権力が強かった日本では、容易なことではなかった。出家修行者に勝手になることは出来なかったのである。二千五百年前のインドにおいて、出家集団が治外法権として認められていたということは、素晴らしい現代性である。それが可能であったのは、出家者たちが、自発性において真面目に修行したということと、戒律を守ること、托鉢野宿といった最低生活をすることによって、尊敬を受けていたからである。又、在家者は、心よく施食供養をする習慣を持ち、自分も希望して出家修行者になることが出来たし、それを願いとしていたからである。
 釈尊の時代の仏教を出家仏教だからいけない、せまいといった非難する人がある。それは長い間、立身出世、家名をあげるといった道徳を教えられていたから。個のあり方、本質に徹するという生き方が理解出来ないのはむしろ当然であったろう。又、日本仏教では信者のあり方が教えられず、信者にも徹底の道が強調されてきたから、混乱するのはむしろ当然。それが今日のように、日本を寺院あって仏教なしという奇妙な国にしてしまったと考えられる。
 釈尊仏教は、出家者と在家者との関わりの中で成立するといってよかろう。托鉢ということは在家信者の供養なくしては成り立たない。光りに入る人、信者としてのよりよき生き方の中に、施すことと修行者を敬うことが拳げられているのは、この二者間の関わりを示すものである。        
 この第四三項((三宝聖典 第一部 第四十三項 パセ−ナディ王))は、在家信者のあり方を説かれたものである。今の日本人のあり方をこの四つのあり方で照らし合わせてみると、実によく分る。そして二千五百年前の人々のあり方と、今日の人々のあり方が、この四つのあり方の中にすっぽり入るということは、人間の精神生活というか中味というものが、少しも変らないということがはっきりする。変ったのは物質生活だということだ。

 光りより闇へ
 光りと闇、これはまだ覚りとか、救われとかの徹底した境地にゆきついた人のことではない。光りの生活とは、宗教心をもった浄らかな幸せといった程度のことであり、闇とは、自己本位で、何一つ尊敬するものも知らず、持たずといった不幸ということであろう。
 仏教は、生れ、つまり高貴な位、家柄に生まれようが、そういうことで人間に価値があるのでなく、その人がする仕方、行い、生き方の中味によるものだとする。
 信仰あり−三宝を信仰すること
 心けだかく−物質や愛欲などのみ追い求めるのでなく宗教心を持つ。
 施しを好む−修行者、宗教活動者、困窮者などへ施与する。
 心みだれず−邪見がないから心が安定している。邪見とは、−三つのあやまった考え方一、神によって一切は支配されている。二、人生は運命によってすべて決定されている。三、この世のことは偶然である−この三つの考えによれば、心は安定し得ない。なぜならはっきり理解出来ないし、次の行動意欲が、わかないからである。
 修行者を尊敬−宗教の求道、修行をすることによって、人間の究極的あり方に到達しようとする人を尊敬する−いつかは自分もそうありたいと願う心があるということ。
 清らかなる行いをつむ−自他を苦しめず、心身の愛欲から少しでも遠ざかるような行動をつみ重ねる。
 死後、善き所に生まれる−現在の生き方の結果は必らず死後に現われる。はっきり分らねば、そうであると信じなければならない。
 以上を取りまとめると、次のように七項目にすることが出来る。
 明暗七法−信・志・施・安・敬・浄行・善生
今日の日本人は、死後を全く信ずることが出来ない。死んだらしまいだと思う。そのために、生きている間の享楽をしきりに求める。ところろが、長生きしすぎて、身体が不自由になってくると、もうどうしてよいか分らない。お医者通いで愚痴をこほすことを生き甲斐とするといった具合で、老人の生き方がまるで出来ない。
 この世の生き方の中に、宗教的安定、解脱を求めることを知らないから、死後への準備という考えも出てこない。又、善因→善果という教もうけていないから、善施をして、未来の善果につながってゆこうという考えも行動もしない。
 釈尊は「この世だけだ」という考えは、あやまりである。そうした考えは、魂的には断滅論と云って、享楽主義、自己中心、セッナ主義になると警告しておられる。若い中に、遅くとも中年までに、この自己中心性から脱皮しないことには、老人としての長い期間、どう生きてよいか分らず、いわぱ半死半生で暮らさねぱならなくなる。
 世の中が貧乏で、働らけ、働らけとやっていた時は、くたびれはてて死ぬ−ということで、ヤレヤレといった死の迎え方が出来たであろう。老閑、死後を考えるヒマもなかったのであるから。ところが今は違う。子育ての忙がしさが済むと、生きる目標がなくなり、中年をすぎて、離婚希望者が急に増えつゝあるという。趣味でもあればマアマアだが。これでも本当は間に合わない。
 宗教という、人間の生き方の理想追究というものを持たない限り、価値ある老閑を生きることは出来ない。老閑期とは奉仕の時期であるはずなのにいまだに、自己の満足をあさっている。これでは少年期からまるで成長していない。
 かって信仰は貧窮の苦から逃れようとして求められてきた。これからの宗教は、人間の生き方、意味、価値を教えるものでなければならない。そしてそれを主目的としたのが、釈尊の仏教である。このような見直しが出来るのも、経済的にある程度の余裕が出来てきたからであろう。
 貧窮を通りこせば。たちまち生き方が分らなくなるという、この現代の事実を根底にした宗教でない限り、真の価値ある宗教と云うことは出来ない。
 光より光ヘ−豊かな生活をしている国王へ、その豊かさに溺れてはいけない、真実へ向わねば本当の人生を実現することは出来ないと教えられるこの釈尊の導きこそ、まさに現代の日本への警告でもある。
 覚った者においては、死後いかなる所に生まれても問題はない。本当の覚りとは、いかなる所にも再び生まれないというということが確立したことなのである。しかし一般の信者においてはそこまでの徹底、自己確立が出来がたい。正定、不退転の位とは、信仰において後がえりはしないが、徹底の覚り、絶対の救われの体験にまでゆきついていない段階のことである。死後を畏れるということは、生き方を真剣に考えるということ。又、死後だけを祈る信仰もあまり価値あるものとは云えない。まず、施善が出来るようになったかどうかーによって自己の信仰状態、程度をテスト出来よう。仏教とは常に『どうするか』に本当の比重があると云えよう。
三宝 第98号 1981年11月1日刊  田辺聖恵

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