直信者の在り方

 「直信者の在り方」
 直弟子という言葉はあるが、直信者という言葉は恐らく無いであろう。釈尊の時分には、直弟子は出家者であり修道をする者であった。いわゆるビクでありビクニ(尼)である。信者は修道をしてもよいが、一般には信仰と浄施をする在家者となっている。
 そこには厳格な一線が引かれていた。修道者にしても信者にしても生活をするのであるから、規律が要求される。それでなければ集団としての和合を保つ事が出来ない。その仏教者としての基本の規律は五つであるが、日本ではこれは全然問題にされない。この規律は修行法として受けとられ、もっと精神性が尊重された事と、あまり集団化せず、お寺で一国一城の主的に暮らすから、集団規律などあまり必要とはされなかったからかも知れない。
 そこを憂れいて、徳川時代に慈雲尊者が正法律を唱え、信者には十善の道を説かれた。しかし時すでに遅くとでも云うべきか、仏教界を動かすには至らなかった。最大の出家在家の違いは何か。男女関係を持つか否かである。しかし日本ではこれが通用するのは極く少数の場合である。その事が問題に何故なるか、と云うと衣服や居住場所が異なるだけで、精神内容は区別しようがないという情況になってきたからである。僧職が税金対策に頭を悩まし、信者が僧職を批判するのが日常となってきて、子供や若い人に影響が現われないとしたら、その方がよっぽどおかしいのである。
 もう僧職を悪口したり批判したりする時ではなくなった。火の粉が降りかかってくるのは自分と家庭になのだから。
              『浄施賛』
         どのように信心が深まろうと
         施の行動 施の生活とならねば
         我欲中心の信心でしかない
          ご恩報謝と口にはしても
          施の実行がなければ空しいし
          信の試されにも気付けない
         善き信者であることは難しい
         浄施を喜べる身になる事は難しい
         その故に施を釈尊は誉めたもう

 いよいよこれから宗教の時代になる。しばらくは若い人の間でオカルトブームみたいなのがあったが、これからは足が地についた、確かな「生き方」となるものとしての宗教が必要となる。それは勿論葬式仏教と云った類いのものではない。修学旅行で仏像を観光的に見る、家庭には仏壇もなく両親が拝む姿を見た事がない、となれば、寺院への権威感は完全になくなるから、宗教とは何ぞやという全くの白紙から始まるのである。
 つまりお寺がどうであるか、と云った事より、私が生きてゆく上において何か必要か、という観点から宗教が求められるのである。つまりそれは権威主義的な寺院の中から生まれるのではなく、在家の生活者の中から生まれるのである。仏教の初まりがもともとそう
であった。仏教の開祖釈尊は宗教家の息子ではない。政治家の長男であった。政治の在り方と個人の在り方には、当然喰い違いがある。
 政治は多数を根底にするが、生き方(宗教)は自己を根底にする。一人の人間が両方にまたがれば悩みが生ぜざるを得ない。いずれを選ぶかという決断を迫られ、ついに二十九歳の時、完全なる生き方を求めて宗教修道の道に入られた。宗教というものは、一種の決断とも云える。決然とする所がなければ得る所も無いからだ。こうして在家者の中から仏教が誕生したのである。
 さて一般の人にとって、宗教上決然となる事があるだろうか。あればまさに善き信者である。さてその信者が、自ら宗教活動を起こすという事は容易に出来る事ではない。家庭生活の片手間といった趣味の類いではないのだから。では信者は何をするか。いや何が出来るか。宗教者を支持し育てる事である。宗教活動を自分がなかなか出来ないから、いわば自分の代りに活動をして貰わねばならない。
 それは単なる精神的支持に止どまらず、出来るだけの、自分に応じた財施をする事である。そうした善施のある所には必ず善き宗教者が現われるものである。この世の中の事はまさに需要供給で、世の中、信者が真実の宗教者を求めるようになれば、必らず本物者が現われてくる。信者が次元の低い現世利益を求めてばかりいたら、そのようなものが次々と登場してくる。それが都市の実情だ。
 この短いお経(三宝法典 第二部 第六五項 聖なる弟子の数々)には釈尊に直接、お仕えした信者の人々が、どのようにあったかを述べてある。中には説法第一と褒めたたえられた人もいるが、その大半は善き信仰者であり、財物食物の善き供養者であった事が明らかだ。善き信者が善き浄施をすれば、宗教者はそれに必ず応えるようになる。信者がソッポを向けば、宗教者はまず生活費からかせがねばならなくなる。これが精神界においてどれだけの損失であるか計り知れない。信者がめいめい宗教解説書を読んだ位では宗教運動にはとてもならない。
 日本はまさにそうした、信者の不支持のツケに悩む時代である。寺院者は自らが反省すべきで、信者が批判すべき事ではない。
   信者の五法
 仏教の在家信者としては、三宝を信じるだけで信者として認められる。日本の場合は仏け様かご本尊様を信じれば信者という事になるが、その中味を聞き知るという事があまりなく、むしろそのお救いやご利益を与えて下さる、その力を信じるというのが多い。それはそれであって良いのではあるが、仏教としての本来の有難さに触れることにはならないであろう。
 釈尊時には必らず三宝を信じるものとされていた。三宝とはブッダとダンマとサンガである。ブッダとはダンマ(真理)を自ら覚り、その真理をもって人々を正導救済される方である。ダンマは真理であるからただ無条件に信じても仕様がない。少しでも理解し体得しようとする所に自己の転換が出来てくる。サンガとはブッダの弟子となって真理を体得し、それを信者に正導しようとする和合の集団である。これらの三つは自分の我欲のためにするものではないからいずれも聖である。このようにそれぞれ三つの別機能を持つのが三宝であり、信ずるとはこの三宝を信じる事である。
 日本ではこの三宝をブッダ(如来)一つにまとめて表現するようになった為に、仏像彫刻が盛になり、大建築のお寺に大きな仏像が祭られるようになって、信仰の形は盛大になった。ところがお祭りが盛大になればなるほど、仏教の中味から遠のくという、まことに奇妙な事になってくるのである。アンコロモチの側を厚くすればアンコが少なくなるのと同じ原理だ。
 紫の衣、ヒの衣などと坊さんの階級を時の権力者から決めて貰うようではとてもサンガにして聖などとは云えない。こうした体質は三宝を明確にしようとしなかった所からくるのであろう。信者の在り方にしても、釈尊時の様子を知らねばどうもはっきりしない。さて信者は三宝を信じるだけで、そこから浄施の実行が出来ればそれでいい様なものであるが、本当の信仰を持てばもっとよく知りたくなってくるはずである。そうした人々に対して「信者の五法」が正導される。それは決して難しいものではない。
   信者の五法−信・戒・聞・施・慧
 信には種々相がある。家庭や社会に宗教的雰囲気があって生得的に持つは今日の日本ではとても望めない。仏教の中味をある程度、聞き知ってから信に入るのが順序であろうか。そして徹底した境地などにはとても及び難いが、ある程度の規律(戒とはいましめ〜罰するような厳しいものではない)を守る生活者になる。信じるが生活の仕方とは無関係というのでは一種の二重人格になってしまう。
 こうしてゆく中によき正導者についてもっと聞法をしたくなってくる。知ることと信じることは相関関係にある。聞法せずに信を深めるとあまりにも自己流になり易い。法が中心にすわっていれば、自己流になることは少ない。こうして聞知信が進むにつれて、在家者としての報恩感謝の表現なくして真の信はない事が体得されてくる。まさに浄施を事あるごとに行うことによって仏教による生活者になってゆく。施の足らざるを恥じるようにすらなる。そしてやがては慧(覚り)と云う最高の境地にあと一歩という所にまで行けるようになる。何とも有難いことである。信者としての道は広々と開けている。それをどこまで自発的に歩み出すかだ。
 これらの生活者としての実践をぬきにして成仏するかしないか、云々しているのは全く観念の遊びであって宗教ではない。仏教とはまさに自分が納得出来る善き生き方をすると云う事なのだから。

三宝 第139号 田辺聖恵