原始仏教講座 第一講 その十五

第一講 その十五

明行足、明というのは智慧の明かり、行というのは実行です。修道、修行も入りますが、日常生活において宗教活動をするという事も行です。それが足というのは足りるということです。この明行足、智慧の明かり、智慧と行いが足りている方、満足している方、整っている方、揃っている方、それが、明行足です。

善逝というのは、真理の世界によく行かれた方。世間解とは世間のことが良く解っておられる方。無上士というのはこの上もない立派な方、調御丈夫とは馬を調教する訓練する調教師のように人間を訓練して下さる方。天人士とは天は神様、人は人間、神様と人間のお師匠様。日本では神と仏と同格のように言ったりしますが、仏教では違う。神様を指導する方が仏様です。そういう方をブッダというわけで、それは世尊である。最高の幸福に行き着いた方。それをムハガバートンという。それの意味をとって、世に最も尊とばれる方ということで世尊と訳されている訳です。それがこよなき世間の帰依所である。田辺聖恵

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