釈尊の聖句 120

120 善人と雖も、善の未だ熟せざる間は、苦悪を見る。然れども善の熟するや、その時善人は福善を見る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 九 悪品 三五頁)
 善が熟する時
善人もその善が熟さざるうちはわざわいをみる。されどその善が熟する時、かれは幸いをみる。(田辺聖恵訳)
◎善には二種。幸福としての善と覚り救われの絶対の善と。どちらも、それを未だ得ていない所から出発する。それは必らず得られるという確信による。この善を人生の目的としない人にとっては何の出発もない。従って到達結果もない。求めのない所には腐敗があるのみ。人生の目的を学習聞法して前進せよ。田辺聖恵

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