2009-12-08から1日間の記事一覧

自然と己

『自然と己』 自然をながめ自然に感動し 次第々々己の心が少しずつ 転廻してゆくことが大切だ あまりにも自然に遠ざかって 文化文明を追い求めていたら 人間の意味を見失ってしまう 自然の厳しさ優しさ それらが 己の中にも組みこまれてる事を しっかりと気…

生き方メッセージ #49(選択的に)

『選択的に』 人間は目的的存在である 行動は目的実現のためだ 生きる事自体が第一目的 人間が殊更学習するのは 目的の質と量を学ぶ為だ 低次高次様々にあるから 誰でも納得しながら生きる 自分の選択を納得しながら 充分選択は難しいものだが [選択的に] …

やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #10(一対一の仕事)

一対一の仕事 私は一対一でやっている。今まさにこうして一対一でやっている。これが幾らお賽銭になるか知らないけれど、それは私が収入ということを、あなたから幾ら対話料を貰うということを考えないから、実際あなたが払っても払わなくても構わない。とい…

浄福 第52号 #1 (施行と生活)

浄福 第52号 1977年12月1日刊 「施行と生活」 田 辺 聖 恵 施とは何か 施とは-人間の生活を支え、価値ある人間としての本質を実現せしめる-ということである。 人間が生きるには三つの面がある。身・口・意の三つ。身とは身体、ロとは意識の表現…

生命存在

『生命存在』 人間とは弱き存在である だから強さにあこがれ強ぶってもみる その反動が落ち込みや逃避となる 人間とは愛すべき存在である ところが愛されてばかりで育つと 愛することを忘れて自己欠損となる 人間とは生命を知る存在である 不満や不安がある…

三宝聖典 第一部 四十項  世尊の幼時

世尊の幼時 時に世尊、祇園精舎にてビクらに法を説かれ、幼少の頃につきて語りたまえり。 「ビクらよ、われかってうるわしきルンビニー園にて、母なるマーヤー夫人より誕生を得、シッダッタの名を受けたり。 マーヤー夫人は産後七日にして、この世の生を終え…