生き方メッセージ #49(選択的に)

  『選択的に』        
人間は目的的存在である
行動は目的実現のためだ
生きる事自体が第一目的
 人間が殊更学習するのは
 目的の質と量を学ぶ為だ
 低次高次様々にあるから
誰でも納得しながら生きる
自分の選択を納得しながら
充分選択は難しいものだが
              
[選択的に] 外からの自由があって初めて選択も出来るが、内なる自由は余り考えられない。内なる自由とは何かに固着する考えや心情が強くないという事である。こう考えると自由は選択の為の条件で目的でない事が分かる。

      『人生目的を選択する自由に第一感謝』
 低次元の欲望目的から高次元の欲求目的へと展開してきたのが人類であるが、これは総て個人の選択によるものである。しかも低次高次を共に抱え込むのだから複雑となる。先ずはこの複雑を選択整理する目的意識が必要だ。                    

[選択的に] 黄色信号で止まるか突っ走るかという具合に、日常大なり小なりの選択をしながら私たちは生きています。今は情報化時代と言われますが、それによって様々な事を学び、選択をして生きるという時代なのですね。所がこの情報が多すぎるので、先ずこの情報を選択せねばなりません。さもないと情報に支配されます。

選択的社会という事は選択能力を持つ者にとって好適であるが、指示に服従的に育てられたものは、指示待ちか情報に流される生き方をせざるを得ないと言えましょう。情報と選択の間に充分判断が必要だとなってきます。これからの学習は「情報→判断→選択」という三点においての実地能力に重点が置かれるべきでしょう。


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