やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #10(一対一の仕事)

 一対一の仕事 
 
私は一対一でやっている。今まさにこうして一対一でやっている。これが幾らお賽銭になるか知らないけれど、それは私が収入ということを、あなたから幾ら対話料を貰うということを考えないから、実際あなたが払っても払わなくても構わない。という前提に私は立っている。あなたにしてもここで一時間話を聞いた、幾ら払わなければならないという、いわゆるアメリカからの偉い講習家を呼んでそして何万円で何人で聞くということになれば、これは幾らになるのかと判断しなければ参加出来ないわけでしょう。高い講習だったら。だけど今私とあなたと一対一は全然それ抜きにしているから話が出来る。だから本当の一対一というのは無報酬を前提にしないと成り立たない。私は無報酬を前提にしてやる。それでも何とかなっていくということで成り立っている。もし一対一でやる什事っていうのは、今だったらなかなか普通の仕事は成り立たない。まず幾らになるかから考えねばならないわけでしょ。私のやっていることはただを基準にしている、無料を基準にしている。奉仕を基準にしているから、私の場合は成り立って行く。そして三十年近くやってきたわけです。それは普通の人には通用しない。しかし通用しないから全然だめかというとそうではない。
 
幾らになるからするというのが企業であり、事業である。だからそれ以外の発想が出来ないということ。経済的能率それを抜きにした発想は出来ないということです。だから同じような発想しか出来ない。それを大きくするか小さくするか、こじんまりやるかスケール大きくするかだけの違い。ところが無報酬でやるという世界があるとすれば、それは全然企業としては考えられない。しかし考えられないけれどもそれがある。無報酬でやっているという仕事があるとする。それと比較して考えるということは堂々巡りでない考えが出来るということ。それをそのまま真似することは出来ないこちらの企業としては。 
 
だけども参考にするということは出来るわけです。森信三先生が両極、二つの極端、両局の切り結ぶ所ということをいつも言われる。書いてもおられる。それは例えば自分が教育なら教育の専門家である。しかし教育だけやっているともう外のことは全然考えられない。哲学を京都大学に行って哲学科に入られた。


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