2009-11-03から1日間の記事一覧

人間本質

『人間本質』 人間の本質は生きることにある 地位名誉財産文化が本質ではない この本質誤認が苦悩の原因となる 生きる事の本質はよりよく生きるにある それは環境適応という働きをすることだ これが不充分であれば存在は続かない 働く事の本質は価値選択にあ…

法句選 #21(真髄の四聖諦)

『真髄の四聖諦』 ただ信じるただ行じると言うのでは 自己の在り方の根拠が明確ではない 自ずからというのでは自己流になる ブッダとダンマとサンガの三宝こそ 学び知り尊敬し信頼するものである この一宝が欠けても仏教にならない 釈尊仏教の帰依信仰が進む…

生き方メッセージ #20(経営の原理)

『経営の原理』 経営とは企&業の快速なり 多様にして充分に練った企画 具体実現の業務と適切な決定 企&業にはタイムリ-な速度 変化の時代には対応する速度 継続にはコンスタントな速度 組織経営でも人間経営でも 発想達成の原理は同じ事だ 総てが人間の素…

仏教による幸福への成功方式 #51(第六章ダンマ 実相 ヨガとは何か )

ヨガとは何か 自分の中の生命としてのエネルギーと宇宙のエネルギーとを調和させ、自分で自分を統制し、健康な肉体を作り上げ偉大な生命的精神と和合する為の修行法のことです。この修行によって自分の肉体の隅々にまで自分の念を働かせ、活発化させたり安ら…

勤労の聖僧 桃水 #24(5、住職時代 その五)

3、さて、聖僧の年令は、法巌寺住職当時は、44、5才、若し現代人に対して肉体的の比較をもって臨むならば、それは現代人の47、8才の年頃に当たるであろう。聖僧は『晩成型』の人である。この見地からいえば、現代の普通人の30、4、5才の頃、或い…

三宝聖典 第一部 第五項 精進

第五項 精進 ネーランジャラー河のほとりにて、心の統一による安らぎを得んがため、つとめて静思し、ひたすら精進したまえる世尊に、悪魔ナムチはあわれみの言葉を語り近づけり。 「なんじはやせて色悪し。なんじの死期は近まれり。なんじの生は千分のその一…

三宝聖典 第一部 第四項 苦行

第四項 苦行 ミル山修行者カーラーマに道を求めて、太子は間もなく上達し、かくのごとく思いたり。 「かの得たるところとは、あらゆる物の観念を越え、存在はこ空なり、空ははてなしと知る心の統一の境地のみなり。されどこは世をいとい、欲をはなるる正覚の…

正導遊行

「正導遊行」 教育でも宗教でも教導するものであるが それを自分の生き甲斐にしてはならない それでは自我の充足のためとなるからだ 釈尊やその弟子衆は旅を続けられたが それは正導であり遊行と称されていた 自我充足の為の仕事でなかったからだ 殊更の使命…