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原始仏教講座(全六講)第一講 その一  仏教の原理

…ログに掲載していた、田辺聖恵師の講座を文字起こししたものです。読み直しながら転載いたします。 第一講 その一 仏教の原理 仏教の原理、すじ道ということを考えてみたい。仏教というものは何で成り立っているのか。成り立っているということと、もう一つは何を目的にしているか。誰がするのであるか。誰がしたいか、そういうことが、ものごと全てに考えられる。そういう風な捉え方、成り立っている構成要素、目的、誰が主体であるか。そしてそれはいつの時代に適用するのか。というような考え方というか、捉え…

最たるもの

『最たるもの』 田辺聖恵 心の糧は意識して求めねばならない 仕事を通して 人間関係を通して 読書対話 静思はその最たるもの 心の刺激を好んで求めねばならない 社会を通して 芸術を通して 大自然への直接はその最たるもの 心の表現をいそしみ求めねばならない 言葉文章を通して 行動を通して 日々の革新 成熟はその最たるもの

心の友

『心の友』 田辺聖恵 あなたは いや私は心友を持っているか 何が真実で 何が最も大切な事であるか そうした事を語り合う本当の心の友をだ 人生をつきつめて考えるようになれば かえって人は 孤独になる傾向がある 何も偏狭になるのではないのであるが 奇妙なようだがこの孤独を知る者のみが いつの間にか 真の心の友になってくる 共通共歓の場がいつの間にか出来てくる

君子でなくても豹変する。

…だろうから、 独り歩きますよと言っていたのに半日経つとブログの改変と急変。 だれか興味持ってくれればと思いなおしたということです。 田辺聖恵老師がよくおっしゃっていた事が、 仏教を分かる人は万人に一人かもしれない、 だけど言い続けるしかないと。 こういうものがありますよと伝える、 それが大事と教えられていたことを思い出してしましました。 そう言えばお亡くなりになって20年? またおかしなことやり出したなと笑っておられることだろう。 申し訳ございません。土下座するしかなさそう。

静思湧言

… 音を立てて元も子も水洗。 ファージイ対応よりも剥離法が大切。 凡小庵山人敬白 ただ今全人類足踏み中。 魚眼レンズで目のウロコを外す。 文化大とは自然小なり。 今世紀最大サービス業→生き方代行。 今世紀最大問題‐脳内血行不順。 年に関わりなく必要なのは粘性実現力。 人生の読解力と手作り的な達成力。 オ金貸します‐日本株式会社。 慢心の特徴は本人が気付かぬという点にある。 夢にも区切りがある所が面白い。 田辺聖恵

第303回(釈尊仏教講座第) 三宝の集い 二年二月一五日

…結果四段階 三宝会 田辺聖恵[補足] このお話のテープを文字起こししようと思っております。珍しく時間内に納まっていますので安心です。数多くのテープが全てといっていい位に途中で終わっています。締めのお話が抜けているので文字起こしに躊躇せざるを得ません。 302回を「八日の集い」として続けてこられたのを何故「三宝の集い」とされたのかは、八日と限定された日程では参加できなくなった小生の為に変更してくださったからということでした。ただただ感謝するのみでした。上記の文章は毎回用意されて…

実現的人間力

…の実現的な人間力が主要だ[実現的人間力]-時代の要求に合うような、又は低俗な欲望に合わせるような仕事は、新しく始め易いかも知れない。だが本当に価値のある仕事となると初めから順調とはなりにくい。本当の価値は少数しか求めないからである。 『計画倒れは人間力に気付かない事による』 新規の仕事であろうと継続であろうと、その中核には必ず人間がいる。その人間とは単なる労力存在でなく、達成的・実現的な人間力を持つ者の事である。従ってこうしたトータル能力は常に高められねばならない。 田辺聖恵

静思湧言

…済予測はしても自己予測はしない。 欲望本位の自我と凡小本位の自己。 サービス産業は尻拭い産業となる。 経済第一健康第二以下省略。 歌って笑ってオンステージ、老いも若きも。 昔一億総ざんげ、今一億総笑い。 まじめに働きまじめに遊びまじめに死ぬ。 無宗教標榜は社会主義国と日本だけ。 無宗教に慣れると人間が物体に見えてくる。 奉仕や福祉は受けるものとなっている日本。 日本的勝ち負け意識は奉仕意識の正反対 田辺聖恵

静思湧言

…が文化度だそうな。 水着ファッションとは見せる見せないの駆引き。 劇画が教科書なみになりつつあります、文部省さん? 昔は塾から学校になった。 今や家庭希薄時代である。 テレビ三点セット―クイズ・グルメ・ドラマ。 悪代官はあるが善代官というのが無いのは何故か。 悪代官をやっつける事で人類は進化してきた? 人は自分を解くキイワードを見付けねばならない。 田辺聖恵

静思湧言

…球をかじっています。 あなたの人生は今中間です。中間報告を出して下さい。 手術はうまくゆきました。これからどう生きますか。 まじめ+非まじめ=現代。 真打ち登場。私拍手する人。 足を地につけて、息を深く吸って、ハイ生きましょう。 価値とは何かと考えるのが価値ある人生。 これからは自分の人生を手作りする時代。 私という主役には、私という演出家がいります。 田辺聖恵

経集 145

…安らぎと楽しさの中にあることである。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) 智あるも、他をことさらにとがむるが如き下劣をなすなかれ。一切の衆生は安らかなれ、楽しみてあれ。(田辺聖恵訳) 生まじつかの知恵は他を非難攻撃の為に使われる。そうした下劣な自己を批判反省することにこそ知恵は使われねばならない。一切衆生の平安を祈る‐ここに平等互恵、自己を滅して他の中に生きる真の知恵、解脱の実際道がある。他を批判して己を浮上させてみた所で、まもなく沈没することは間違いない。(田辺聖恵)

経集 144

…ない。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊) 足るを知り、養い易く、事少なく、生活もまた質素に、五官は静まりて智あり、自負心なく、家々にゆききなすも貪欲の念あるなかれ。(田辺聖恵訳) 宗教者の生活は質素にしない限り必らず目已を破る。読経料として労働報酬を受けとると考えるようになっては仏教でなくなる。sいかなる名僧も金ピカ衣を脱ぎ捨てない限り、自他共に救われない。衣のカゲにかくされた自負、権威主義こそ無智の極。尊敬されるを捨てることがいわば最後の捨てであり質素。(田辺聖恵)

開店休業のお知らせ

…了ということではありませんが、田辺聖恵師の原始仏教の教えはほぼ掲載尽くしましたので、ひと息いれたいと思います。「新千暖荘」とダブらないように気をつけて掲載してきましたが、出つくした感があります。再整理しても何もなければ自然消滅ということになるのかもしれません。何かあった時に何気なく読んだ文章に心打たれるということもあるでしょう。そのような活用をしていただければ幸いです。三宝会という名称がとんでもない人たちのグループ名に使われていることを知りショックでした。それだけが残念です。

察応時代

…基準を持つことだ [察応時代] もの事が先行している時代に人は、順応か適応するかであった。だが今日の様に先を読まねばならない時代には明察対応を必要とする。事前考察の能力を増すには、想定によるシュミレ−ション訓練が必要であろう。 『ヒラメキの日常化こそ必要能力』 一般想定は固定観念の延長が多い。これから特に必要になるのはヒラメキ想定である。ヒラメキには単発と多発がある。有効ヒラメキを得る為には多発訓練をしなければならない。ヒラメキ素材を多く持つ事が察対応能力と言える。 田辺聖恵

自由・自発・自立

…る [自由・自発・自立] 束縛はイヤだ遊んでいたいというのでは幼稚心に過ぎない。自由だからといって必ずしもこれをしたいという自発があるとは限らない。こうみると自由は目的ではなく、自発への条件に過ぎない事が分かる。 『自発を生じるのは自立目的であり自由条件である』 私はこの様に在る、これをするという所に自立がある。この様に確かな内容があるのが自立である。ここに自己目的があるとする時に真の自発が生じる。自由(条件)自発(衝動)自立(目的)は人間の在り方の一連としてある。 田辺聖恵

未だに

…ない [未だに] 教育には様々な批判や期待が寄せられるのに、宗教に関しては無視が続いているのは何故か。それは宗教自体が人間の深層形成に関わらず、葬式法要を主としてきた事によるのだろうか。今やっとその批判が起きつつある。 『これから文化の本質が問われる時代になる』 かつては政治体制が人間管理をしていた。今や経済構造が人間形成をしている。従って経済界そのものに人間尊重の教育性宗教性が導入されねばならない。利潤優先は人間軽視だからだ。そしてこれらを総合して人間文化となる。 田辺聖恵

祈念・宣念

…源だ [祈念・宣念] 多くの日本人は自分を超える大いなるものへの理解を持たない。従って苦しい時困難な時に祈念する方法を知らない。この祈念・宣念は自己の深層意識への働きかけで、そこから誰でも大きな力を得る事が出来る。 『偉大な深層意識の力を引き出すのが祈念・宣念』 深層意識は遺伝子と共に伝承されてきたものである。それは沢山の達成経験を蓄えている。祈念・宣念は自分の強い願望を深層に送り込み、深層から達成方法を引き出す心の原理である。実現力のある人はこの方式を使っている。 田辺聖恵

善悪と聖

…く所の聖だ [善悪と聖] 便利さ早さ美的流行が大きな流れの中では何が善何が悪という判断が出来にくくなる。世間が善悪で動いていないからだ。善をすすめ悪を抑える社会でなければ、自己浄化力を失いやがて苦悩を増してゆくものになる。 『善悪のみで聖意識の無い社会は滅びる』 善の力が弱く悪の力が強いのは人それぞれに煩悩心があるからだ。その煩悩を超えるものは宗教的聖である。この聖への尊崇が善悪への判断力となる。その判断が自己浄化をもたらすのだが、聖への尊崇なき社会に期待はし難い。 田辺聖恵

玄泉尽きざる如く

…いように [玄泉尽きざる如く] 文も書もその人を現すと言われる。文も書も書く事を通して作品化する。もし作品としないならば観念の甘さに止まる。形に現して初めて判断の対象になる。人もその行動を通してこそ評価されるものである。 『人は自己評価しつつ生き生きと生きる』 人が生き生きと生きるという事は、種々に思い、その思いを行動してゆく事である。深い泉が湧き続けて尽きることが無いように、人の思いも行動も尽きる事がないのが本来の在り方である。生命が停滞するという事はないからだ。 田辺聖恵

人として観る

…観る事だろう [人として観る] 人を適確に批評する事は出来ても、自分を批評する事は難しい。それは単純自信や単純劣等感ですませている事が多いからだ。それは客観視する事の難しさである。そこから人の観察批評の仕直しが始まる。 『物から心へとは人そのものへの移項である』 今やヒュ−マン・リレ−ション人間関係でもの事が成り立ち、かつ動いてゆく時代である。そうした関係は適確な観察判断からより善く形成される。物への関心から人への関心へと変わる時代である。そこに難しさ高度さがある。 田辺聖恵

初心賛

…心が要る [初心賛] 食う為に働くでは初心を感じる事もないであろう。仕事に追われるでは初心を楽しむ事も出来ないであろう。その事、その人に当たって初心である為には、その前後の色々な思いが、自ずとふっきれている必要がある。 『初心である事の難しさが初心の本質である』 体操選手が開始の直前に精神を統一する様に、初心はむしろ意識されねばならない。日常の心とはかなり違うものだからだ。そして初心をしばしば持つ事によって、日常の中にも初心を持つ事が出来る様になってくると言えよう。 田辺聖恵

人生様々

…生もある [人生様々] 何をしたいと生きるのか、何の為に生きるのかといった希望や疑問を持たないで成人する。たまたま付いた仕事や家庭で人生の大半を過ごす。あの浦島太郎の話はまさに今の現実である。空虚な繁栄という事だろうか。 『物の豊かさに虚しさを見るのが本物感性』 貧しかった時には生きられるだけで感謝が出来た。豊かになるにつれて欲望は肥大し感謝はほど遠くなった。真実に触れる機縁は益々遠のいた。それだからこそ真実を明らかにする、大智と大愛の宗教が最も必要な時と言えよう。 田辺聖恵

ご縁一杯

…はない [ご縁一杯] 努力する頑張ると言った所で、無数の自然や物、仕事や人間関係それらのご縁で生かされての上での事だ。自分と自分以外の様々な物との総合で自分が生きるという事がある。その一杯のご縁を気付かないのは何故か。 『教えられの第一は生かされの事実と筋道』 無数一杯のご縁で生かされている事は厳然とした事実であるが、教えられなければ気付かない。一切は縁起するという事は事実であり、存在の筋道理法である。ここを学ぶ事でその人の生き方は変わり、確実な生き方になって行く。 田辺聖恵

結果必然

…然だ [結果必然] 仕事や相手が思ったようにならないと悩む人が多い。だがそれは順序を間違えている。先ず自分が考えたようになる事をシッカリつかまねばならない。どの様になりたいか、考えた様になるならないを実験することだ。 『結果は必然だから結果が自分を導いてくれる』 考えた様に(強く思った様に)自分がなる事を体得した人は、仕事や相手に対する見方考え方が違ってくる。そうするとそれらは考えた様になってくる。自分が変わると対象も変わる。これは相対原理だから実験する価値がある。 田辺聖恵

余裕と活気

…カクテルだ [余裕と活気] 木彫りで鳥を作る人がいるとする。いわゆるホビイだ。余裕があっての事だ。こうした所からおのずと活気が生まれてくるのは想像に難くない。こうした人のライフスタイルに燃え尽きるなんて事はないだろう。 『心の豊かさが仕事に反映するようになる』 私は下手なりに色紙書きをして呈上している。私のホビイというわけだ。何か趣味を持つと心が豊かになり広がりになるのは間違いない。これから無芸大食は通用しない。仕事と趣味のバランスが自己経営の必須条件になるだろう。 田辺聖恵

自信と感謝

…るからだ [自信と感謝] 一度でも出来た事には自信を持てる。今まで生きてきた事に自信を持っていい筈なのに、日本人はとかく自信不足である。大自然その他のあまたから生かされている事実を信じ、感謝する事を忘れているからだ。 『もの事に感謝出来る人は自ずと自信が生じる』 「もっと自信を持て」と言うがそれは仕事に対してだけである。自分が生かされて生きているという、自分存在への自信がなくて、仕事にだけ自信を持つのは根拠がないからムリ。どの様な自信を持つか先ず自問する必要がある。 田辺聖恵

喜び原理・人間原理

…だ [喜び原理・人間原理] 何故食べたいのか、満腹の喜びを求めるからだ。その後何故テレビを見るのか、楽しくありたいからだ。食べる、見るの行動は手段である。喜びが目的である。目的喜びが大きい程、手段行動も活発になる。 『行動を引き出すのは達成の喜びイメ−ジだ』 勉強とか努力とかの言葉内容には喜び要素が明確でない。貧しくて生き難い時代には無条件に努力せねばならなかった。今日、人間らしくある為には喜び目的に向かって手段行動するという、人間原理がもっと強調される必要がある。 田辺聖恵

生き方学

…もみる [生き方学] 思いやりとか耐えるとか経営の仕方とか、様々なハウツウの本がある。だが大半はどの様にという一種の方法論である。何の為、何故生きるのかという、理由や目的を明確にしたものは少ない。あれば生き方学である。 『学ぶ事を喜ぶ人間本質は生き方学へ向かう』 一方ではファッションに明け暮れ一方では内戦に明け暮れといった人間実情をみれば、生きる事の目的や理由が一定していない事が分かる。だが自分一個に限ればそれでよいという訳にはゆかない。そこで生き方学が必要になる。 田辺聖恵

活き活き人間

…がそこにある [活き活き人間] より価値的であるとか美的であるとか、何かの実現に向かって行動している時、人は活き活きとなる。「人はパンのみにて生きるにあらず」とは、人が価値志向を持ち、その実現を喜ぶ存在という意味でもある。 『人間とは根幹にある創造欲求を満たす存在』 貧しい時には物の獲得が最大の喜びであった。だが今日は遊び精神の時代と言われる。遊びとは収入が目的ではなく自分の創造欲求を満たす事である。これからの生涯学習はこの点にポイントが合わされねばならないだろう。 田辺聖恵

生き方原理

…だ [生き方原理] この頃は個性とか自己確立とかが言われるが、うっかりすると自分本位になりかねない。人間は無数の関係の中で生きている。従って関係原理をつかんだ生き方をした方が、賢明でありかつ自己充実にもなり易い。 『人間関係は難関であるが共に喜ぶ関門でもある』 子供の時に充分な遊びを通して関係原理を体得しないと、対人関係がおっくうになり、機械操作などの対物関係に逃げ込む事になる。機械文明が進む程、対人性が退化する事が今日最大の問題で、それは人間性の退化となるからだ。 田辺聖恵