原始仏教講座(全六講)第一講 その一  仏教の原理

これは2年ほど前に他のブログに掲載していた、田辺聖恵師の講座を文字起こししたものです。読み直しながら転載いたします。

第一講 その一

仏教の原理

仏教の原理、すじ道ということを考えてみたい。仏教というものは何で成り立っているのか。成り立っているということと、もう一つは何を目的にしているか。誰がするのであるか。誰がしたいか、そういうことが、ものごと全てに考えられる。そういう風な捉え方、成り立っている構成要素、目的、誰が主体であるか。そしてそれはいつの時代に適用するのか。というような考え方というか、捉え方というものが、従来の、日本の仏教は、殆どがお寺を通して或いは本を読まれて、ということもあるでしょうが、そういうふうにはあまり感じられない。

たとえば仏教とは何か、と聞かれたとする、古臭くないかと聞かれたとする、一口になかなか答えられない。そういう考え方をしたことがあるだろうか。仏教とは何かというひっくるめた考え方をしたことがあるだろうか。部分的には聞くことは多い。テレビでもある。仏教というものを構成、何で成り立っているかという捉え方ではなく、いきなり仏教の真髄というか、悟りというか、あるいは成仏するとか、「山川草木悉皆有仏性」と、山も川も草も木も皆仏の性質を持っているという話をいきなり聞いたり読んだりすることが日本の場合多い。そうすると、非常に素晴らしいように思うけれども、何となく、自分の日常的な、日常の世界にいる者が、そういう話、そういう発想を聞いても、何か次元が違いすぎて、ピンとこない、という所が多いのではないでしょうか。そういうようなところが、日本仏教の非常に高級な所であるが、日常性と噛み合わない。日常を離れた所が宗教の世界という風になって、一般の人は、話は真に結構、そうありたいなという気持ちと、毎日働かねばならない、稼がねばならないという日常の生活と、二重構造で仏教に触れて行くということが多かったろうと思います。それでもいいようなものですが、もう少し突っ込んで考えたいと思います。