原始仏教講座 第六講(最終講) その五

第六講 その五
 もっとも高まりばっかしでは駄目なんですね。いくらのぼせ上がって、何を言っても手段方法がなければ、自分の体験を全然伴わないならば、受け売りしかできない。受け売りでは迫力がない、だから気合ばっかり掛けても本当の導きにはならない。
 そこで矢張り人々を導かなければならない、だが自分自身も根気よく自分の解脱を達成していくということですね。
 仏教が原始仏教だけ分ればいいようなものですが、矢張り日本においては、後期の仏教、大乗仏教といわれるものがずっと行き渡っていますから、それとのつながりにおいて、禅ということをある程度矢張り分っていかなければならない。それから真言密教も分っていかなければならない。何故ご祈祷するのだろうか、あのご祈祷というのは本当だろうか、うそだろうか、効果があるのだろうか、なかろうか。
 ご祈祷というのは、仏様にお願いして仏様に救ってもらう守ってもらうという表現をとっているけれど、深層意識的に考えると、あり得るんです。心の世界、深層意識、虫が知らせるということがあるでしょう。何となく虫の知らせというのが。あれは深層意識なんです。深層意識は通じ合うんです。
 今やっとフロイトなんかが深層意識の、無意識ということを追求し出した。心理学として。仏教ではお釈迦様の時分から深層意識の世界、ようするに魂の問題をお釈迦様一生懸命言っておられる、これは深層意識の問題なんです。
 深層意識というものを抜きにして頭の中でどうだこうだ言っているのは本当は仏教ではない。深層意識が展開しなければ、どんなにこういう話をしつこくやっても、まあ話は分ったというだけで、それはそうだけど死んでも商売すればいいというなら、話と自分の生活とまるで二重構造になってしまう。二重人格になるんですね。それでは宗教と言われない。宗教とは自己が本音と建前が一致する方向に向っている時が宗教なんです。