我々の社会はオウン・ゴールによって自滅しようとしている。 独りファシズムVer.0.1

 [2013/03/03]
眼前の危機を歴史事実から考察して頂きたいと思う。

アダム・スミスが‘市場における個人の利己的行動が調整機能となり、全体に利益をもたらす’という仮説を提唱し、「神の見えざる手」を概念化したとおり、レッセフェール(企業利潤主義)の原型は18世紀に遡るのであり、それ自体は目新しい社会思想でもないだろう。

イズムの浸透は壮絶な社会格差と国家対立へと発展し、二度の大戦と共産主義国家群の脅威をもたらしたことから、1950年代以降の世界は資本主義に労働者保護と社会福祉を取り入れた「折衷主義」を構築していく。我々の有する諸権利は対立するイデオロギーへのオルタナティブとして、つまり資本的合理として付与されてきたと言えるだろう。

ところが70年代に入るとオイルショックが勃発し、各国の資本は生産コストの上昇により利潤を圧迫されたことから、新たな社会構想を模索することとなる。そこでふたたび着目されたのがレッセフェールであり、その思想主体であるミルトン・フリードマン理論とは、言わば今様に翻訳されたテクストであるわけだ。

労働者の非正規化、これによる年金や医療など企業負担の削減、人件費の抑制、関税障壁の撤廃、一律税制の導入、累進課税の撤廃、多国籍企業の優遇、(その原資確保手段として)教育・医療・福祉など公共サービスの切捨などが理論の支柱であり、つまり本質とは「資本のユートピア計画」に他ならない。

手始めにラテン・アメリカの経済植民地化を目論むグローバル資本は、ニクソン政権を触媒として各国に軍事政権を樹立させ、フリードマン理論に基づく市場原理主義を強行するのだが、これにより70年代以降のチリ、アルゼンチン、ペルー、ブラジル、コロンビア、エクアドルなどおおよそ南米大陸の全領域にわたり、反対勢力の粛清という過激暴力が席巻したことは概説のとおりだ。

当時のチリ大統領アウグスト・ピノチェトは、急進的な改革にともなう大規模な市民の拘束、監禁、処刑に国際的非難が高まるなか、ローマ教皇の謁見に際して「拷問は正当な行為である」と明言しているのだが、つまり抑圧構造こそが企業利潤主義の本質なのだろう。

あらゆる法制度が利潤の最大化を目的に改変されたことから、各国では莫大な投資マネーが流入し、短期的に爆発的な活況を呈したのだが、進出したグローバル企業は現地での納税義務を果たさず利潤を本国へ送還し、大幅な賃金削減と福祉の切捨てによって国民生活が破綻したことは語るまでもない。つまり各国の貧困率や非識字率は、60年代のそれよりも指数関数的に悪化したわけだ。

そのうえデフォルト(債務不履行)のリスクが顕在化するにともない、流入した資本は国外逃避するのであり、通貨や株式など金融主体が連鎖的に瓦解し、経済システムは常態的に不安定化するのだから、レッセフェールによって発展した国家モデルなど存在しない。

これによりラテン・アメリカ諸国の財政は加速的に悪化し対外債務を膨張させたのだが、IMF世界銀行は融資条項として公営企業の民営化や地下資源の供出を迫り、それらを多国籍企業が底値で取得するというスキームであり、つまりフリードマン理論とは最終的に資本意思がローカルルール(国内法)を超越することにより労働力、資源、市場の略奪を可能とするイデオロギーの純粋な表明であるわけだ。

さらに80年代以降はレーガノミクスサッチャリズム、開放政策、グラスノスチなどとイズムは巧みに本質を騙りつつ先進各国をもターゲットとしているのであり、それはグローバル企業という単位が、国家という単位を完全に凌駕し、地球的スケールの絶対者として君臨する証左なのだろう。

我々の体系においても、97年の「金融の自由化」によってヘッジファンドが参入を果たし、空売りによって山一證券北海道拓殖銀行を破綻させ、2000億円以上の利潤を獲得したのだが、それは兆候に過ぎなかったわけだ。

これに続く小泉構造改革によって金融市場の制覇はほぼ達成され、以後、彼らが大証東証市場から得るキャピタルゲイン(株式売買益)は月間2兆円ベースという凄まじさなのであり、金融緩和だのアベノミクスとか騒いだところで、これだけの社会資本が外国勢力に食われているのだから、国力の回復に何らの実効性もないことは子供が考えてもわかるだろう。

進行していることは小泉構造改革に続く市場原理主義の第三次的政策なのであり、TPPという自由貿易構想はその終局的フェーズなのであり、それは後期資本主義における対抗関係の激化なのであり、政治機能と社会調整機能を多国籍企業に委ねるという絶対悪をもたらすのであり、推進論者は例外無く売国者なのであり、共犯論法が無知を構造化し、我々の社会はオウン・ゴールによって自滅しようとしている。