三宝法典 第二部 第四七項 バッカリの捨身

バッカリの捨身

時に世尊、ラージャガハの竹林リス飼育所にとどまりたまえり。ビク・バッカリは陶工の家に住し、重き病に苦しみ、看病のビクを呼びて依頼せり。

「われに代りて世尊を礼拝したまえ。また世尊にあわれみをもって、われを見舞いたまえと告げられたし。」と。

世尊はこの願いを許されて、衣をつけ鉢を手にしてバッカリの所へおもむきたまえり。

バッカリは世尊の来たりたもうを見て床より起き出でたり。世尊は、

「バッカリよ、床より起き上がるに及ばず。もうけの座にわれは坐すならん。」と仰せられて坐したまえり。
  
「病はいかに、また病にたえ得るや、食事の進み具合、供養のほどはいかに、苦しみは増すことなきや。」
  
「世尊、苦しみも病も増すばかりなり。」
  
「バッカリよ、おんみに後悔なすこと、残念なることなきや。」
  
「世尊、われに少なからぬ後悔と残念があるなり。」
  
「おんみは規律につきて、みずからを責むるや」   「いななり、世尊。」
  
「規律につきてみずから責むるところなくば、何の後悔と残念ありや。」
 
「われは世尊を見たてまつらんがため、世尊のみもとに参らんと長き間思えり。しかれどもわれに体力なきため、なし得ざりしなり。」
  
「バッカリよ、このやがては腐れる身を見ていかにせん。法を見るものはわれを見るなり。われを見るものは法を見るなり。バッカリよ、おんみは物も心もうつり変わりなすと思えるや、いなや。」
  
「世尊、物も心もうつり変わりなすなり。」
  
「バッカリよ、変化なすものは苦なり。苦なるものはわが本体にあらず。変化なすものは、わがもの、われそのものにあらず。かくのごとくありのままに知るべきなり。バッカリよ、かくのごとく見きたりて、この教えの弟子は物と心をいとい、その欲をはなれて解脱し、解脱せりとの知恵を生ず。
 
わが生はつき解脱せり。われ清き行はたしたり。なすべきことはなし終えり。これ最後の生、こののちに再び生を受くるなしと。」
 
世尊はかくのごとく正導なされ、座を立ちでギッジャクータ山に帰りたまえり。

世尊、去りたもうやバッカリは看病のビクに言えり。
  
「友よ、われを床にのせてイシギリ山へ運びたまえ。われごときものが家の中にて死なんとは思わず。」と。
 
看病のビクは願いのごとくかれを運べり。

世尊はその日の午後とその夜とをギッジャクータ山にてすごしたまえり。その夜、二人の天子、光りをもってギッジャクータ山を輝かし、世尊のみもとに来たり礼拝し、「世尊、バッカリビクは解脱を思えり。かれはよく解脱をなすならん。」と告げて去れり。
 
その夜をすぎて世尊は、ビクらに仰せられたり。
  
「ビクらよ、バッカリビクの所に行きてかくのごとく伝えよ。友バッカリよ、世尊と二天子の言葉を聞け。世尊はバッカリよ恐るるなかれ、おんみの死は悪しきことなし。おんみの死は不幸にあらずと仰せられたりと。」
 
つつしみてこの伝えを受けたるバッカリは言えり。
  
「世尊、バッカリビクは重き病にて悩めり。世尊のみ足を頂きて述べん。われは物と心において、すべてうつり変わりなすことを疑わず。変化なすものは苦にして、これらのうつり変わりなすものに欲を思い執着なすこともなし。」と。

使いのビク、帰りて間もなく、かれは刀をとり上げたり。

世尊は使いの言葉を聞かれて仰せられたり。
  
「ビクらよ、来たれ。イシギリ山に行かん。バッカリは刀をとり上げたり。」
 
かくて世尊はビクらをともないて、かしこにおもむき、はるかにバッカリが床の上にて、体や肩を動かすを見たまえり。

その時、煙のごとく、あやしき気配が東にゆき、西にゆき北にゆき南にゆき、また上下四方に走れり。世尊はそのあやしき気配を見るやとビクらに問いたまい、見るとの答えを得て仰せられたり。
  
「ビクらよ、こは悪魔がバッカリの心がいずれにゆきて生まるるやとさがし求めつつあるなり。されどバッカリはその心いずこに生まるるということなきニバーナに入りたるなり。」

南伝二一巻二〇三頁相応部第四悪魔相応第三ゴーディカ(看病の件なし)
南伝一四巻一八八頁相応部第一蘊相応長老品第五バッカリ 

法を見る者はわれを見る

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