三宝聖典 第一部 六三項 三つの座席

 三つの座席

時に世尊、ビク衆と共にコーサラ国へ正導の旅をなされ、、ベーナーガプラ村に入りたまえり。村のバラモンの在家者らは世尊のみもとに参り、一方に坐して申し上げたり。
  
「世尊ゴータマよ。世尊の御からだは静かにととのい、御顔は清らかに輝けり。世尊にはよく飾られし荘厳なる座席こそふさわしく、また世尊の欲するままに、たやすく数多く得たもうならん。」
  
バラモンよ。かくのごとき荘厳なる座席は、修行者には得がたく、また得るともふさわしからず。今われ欲するままに、ただちに得らるる三つの荘厳なる座席あり。天国の座席と神および聖者のそれなり。」
  
バラモンよ。ここにわれ早朝に村に托鉢し、食を得て林に帰り、草や木の葉を集めて、その上に正しく坐し心も正しくす。かくのごとくして欲をはなれ悪をさり、第一段、第二、第三、第四段と心の統一に入りて、苦も楽も喜びも悩みも滅ぼし、清らかさを心に味わう。かくのごとくしてわれは行くにも坐すにも休むにも天国の喜びを感ずとす。これ今われ欲するままに、ただちに得らるる天国の荘厳なる座席なり。
 
次に早朝の托鉢を終えて林に帰り、草や木の葉を集めて、その上に正しく坐し心も正しくす。かくのごとくして慈しみの心をもちて一方をみたし、上下四方あらゆる世界を憎みなく、怨みなく、広大なる心にて満たすなり。悲の心、喜の心、捨の心においても同じくす。かくのごとくしてわれは、行くにも坐すにも休むにも、清き幸福を感ずとす。これ今われ欲するままに、ただちに得らるる神の荘厳なる座席なり。

次に托鉢を終えて林に帰り、正しく坐し心も正しべす。かくのごとくしてわれにむさぼりも怒りも愚痴も根抜きにされ、ふたたび芽を出ださざるがごとく、未来にふたたび生を受けざるものとなりしを知る。かくのごとくしてわれは行くにも坐すにも休むにも、つねに聖者の喜びを感ずとす。これ今われ欲するままにただちに得らるる聖者の荘厳なる座席なり。」
  
「世尊よ、まことにすぐれたることなり。これら三つの荘厳なる座席は、世尊を除きては、欲するままに得らるるものにあらざるなり。このみ教えにより、われは在家信者として命の終るまで、三宝に帰依したてまつる。」
南伝一七巻二九一頁増支部一二集第二六品   四無量心 (慈・悲・喜・捨)