「三宝」71号 五つの幸福原理 #3(解決原理)

 Ⅱ、解決原理

 私たちはいろんな問題を苦しみ悩みとして持っています。そしてどうしたら解決出来るか、まるで分からないので、無理をしたり、あきらめたりしています、あきらめる(諦)とは本来明らかに知る、つまり真の理を知るということで、どうにも仕方がないのではなく、どうしたらよいかも分かってくるということ、道が開けてくるということです。

 苦しみとは、どうしたらよいか道が分からないことなので、道が分かれば、まだ結果がよくならなくても、苦しみはうすらいできます。道が見えてきて、その方向に歩み出せば希望がわいてくるものです。その幸福が必ず実現される解決原理は四つで成り立っています。

 1、現状認識―苦悩、心配、不安、不満、いらいら、怒り、ねたみ、心のしずみ、うわつき、無気力、怠け心、思い上がり、疑ぐり、むさぼり、眠り、などいろいろの心の状態がありますが、まず自分がどんな状態かをはっきり知らねばなりません。いやこれでいいんですと自ら自分の心のまだ開けていないことに気付かない人があります。自分が幸福だと思いこんでいる人は、もうそれ以上の進歩向上もないし、それで良いとも云えません。それは本当の幸福というものを知らないために、それと自分とを比べて、これではいけないといった心になれないので、本当に不幸な人で、せっかく人間として生まれてきた値打ちをあらわすことも出来ません。そこで、まずよく反省し、自分の状態を知ることが大切です。

 2、原因分析―五幸福と比べてみて、そのうちのどれかが得られていないとします。美術家がよい作品を見ることによって自分の未熟さが分かるのと同じです,一体どこが自分は下手なのであろう。色彩だろうか。デッサンだろうか。構図のとり方だろうか。タッチのせいか。主題が時代おくれなのか。大きさか、材質の選びか方か,ムードだろうか。

 このようにいろいろと原因を分析してゆくと、漠然としていたのが、次第にはっきりしてきます。人間がすることですから、すべて三つの点から分析します,①心の持ち方が違っているのではないか。②言葉の表現がまずいのではないか。③実行の仕方が足らないのではないか。心―言葉―実行。

 この三つが釣り合いがとれていなければだめ。行動型は失敗が多いし、無力型は何もしない。おしゃべり型も口先ばかり。これでは何事も不成功。欲望、欲求の熱意が足らない人もあります。どうせだめだと。また一方ではそれが強すぎます。人間は実は欲望、つまり感情で動くのですが、ある程度教養が進むと、その理性に合わないことは出来なくなります。イワシの頭も信心からと云いますが、今時、イワシの頭と分かっていて信仰する人がありましょうか、理性はそれでは完全でしょうか,とても足りませんね。そこで人間の不幸の最大の原因は理性の欠除、無知、おろかさにあるということになります。第一、解決方法を知りません。

 3、目的確立―富みと健康、これを得たいとします。原因も分かった。実行もしよう。しかしどの程度の目的を立てるかがはっきりしないと成功しません。そこで目的が立たない人はまず立てること。立ったらそれを確実なものに固めること。確立したら、必ずそれを獲得出来ると確信すること。

 目的は単なるムード、あんなふうになりたいなといったものではだめ。必ず具体的にどれをどの位の大きさ、いつまでにと固めることがコツ。具体的にするためには、紙に書いて、表としてまとめてみることです。まだ足らない点がはっきりしてきます、気付いたらそれを補います。

 目的を立てるためには、人間の本当の価値を実らせる方向に向かうことが大切です。人を殺すという目的を立てて殺すことも出来ます。つまり目的を立てたなら、こんな悪いことでも出来るのですから恐ろしい。だからこの法則を悪用してはなりません、善用するとは善なる方向、価値ある方向に人生そのものが向いているのでないと、一時的に目的を達成しても、また考えねばならず、遠回りの人生となってしまいます、ムダな人生と思われるのは、この人生の価値や真理を知らないことによります。知情意と云われるように、理知―価値。感情―熱情。意志―決意。

 このようにまず個人の完成の方向に立ったあなた自身の目的を立てて下さい。

 4、実行方式―幸福原理第三実行原理と同じ。①目的 ②信念 ③言葉 ④自律 ⑤仕事 ⑥努力 ⑦集中 ⑧深識

 次項で説明しますので、略します。目的が立ったなら、必ずそれが達成出来るとしっかりした信念を持ちます。今の人は主体性を持たないとよく云われますが、それはこの信念が不足しているということです。それはこうしたい、こう生きるべきだという人生の方針が立っていないからです。言葉も、思わないことは云えません。云ったことに責任を持たねばなりません、また自分の.生活が乱れていては何一つ成功するわけがない。自分を規律ある人間とすべきです。そのように自分をまず調えてから、生きることつまり働きをする、仕事をすること。そしてその努力を続けることです。

 集中とは、目的に対していつも心を集中することです。時々思い出すようではとても成  功しません。深識とは、深層意識つまりこころのずっと奥の心ということ。この奥の心が、実は人間が行動をする原動力となるところです。そこで、心を集中して奥の心に目的が焼きつき、ほかの考え方が出来ない位にまでなることが本物です。


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