考える要領 (その四)原因分析

原因分析

現状認識が仮に出来たとします。しかし自分自身の問題あるいは相手の人の問題、あるいは自分の環境、置かれて環境状態、いろいろな条件があります。そういうようなものがいくつもあるから現状認識という・とは、いくつもの事を知るのだから、どうしたらいいのかというようなふうにはなかなかならない。問題がたった一つの事であれば簡単ですけれど、例えば、今、お昼が近いとします。だからお昼の食事の用意をしなければならないというようなのは、一種の現状認識なんです。そうすると問題は小さいでしょう。現状認識が。そうすると、それでは今から買い物に行って料理をするか、材料が冷蔵庫にある物の範囲内でお昼の用意をするか、すぐ答えは出てくる。 所がそれは一つの問題であれば一つの現状であれば、どうしたらいいかということはすぐ出てくる。しかし沢山の苦しみ悩みということの話ですから、苦しみ悩みでない事ならば別に考える要領を使わなくてもいいわけです。
 
苦しみ悩みであれば現状に沢山の要素が入っているから複雑である。従ってどうしていいか分からない。そこで原因分析をしなければならない。
 
どうなっているかというのが現状認識、それに対していくつもの要素があるとすれば、それをまず分けなければならない。いくつもの問題要素が入っているとします。自分の事、相手の事、回り環境の事、あるいは自分の能力のこと、そういうようないくつものことが現状として沢山かたまってあるから、それを一つ一つに分ける、それが分析するということです。そしてこの事はこうなっている、例えば熊本の事はどうなっている。東京の事はこうなっている。自分の未来の事は自分はこういうふうに希望を持っている。そういうふうにいくつもに現状をまず分ける。問題をいくつもに分ける。分けるということが分析するということ。そして一つの問題について、さらにそれの原因を追求していく、それが分析するということです。分析という字の「分」はわける、「析」もわける。分析というのはわけてわけるということ。これが原因分析です。原因が分からないと、どうしようかという答えはとても出てこない。
 ですから原因分析をするんですが、それにも多少要領がいるといえばいるわけです。何故ならばこの場合もまさに理性を使わなければならない。感情では分析は出来ない。感情というのは普通は好ぎ嫌いです。一つ一つに分ける、そんなの面倒臭い、私はそんなの好きじゃない。とこうなれば全然やらない。だから分析する場合も特に理性を使う。理性を使うということは感情を挟まないようにする、それは客観的に第三者が見た場合に考えつくように考えるということです。
 
考える要領の第一番が現状認識、その第二番が原因分析。どれも客観性を持ってする。考えるということは客観的に考えるということです。感情というのはいわゆる主観というか、客観的な感情というのは大体ないわけです。普通、感情というのは、例えば、その甘いものが私は好きという人と、甘いものは私は好かないという人があるんです。しかし砂糖は白いということは、私も砂糖は白いと思うし考える、又私以外の人も砂糖は白いと考えるわけです。だから砂糖が白いということの認識というか、考えということは客観的なわけです。所が砂糖が好きである嫌いであるということは皆それぞれ違うわけです。同じ好きでも少し甘い方が好きという人もある。うんと甘いのが好きということもあるから、いわゆる好きとか嫌いとかいう感情はその人だけのものです。
 
考えるということは誰でも同じになるわけです。理性というのは共通面がある。誰にとっても同じ。一十一は二という事は、私にとっても私が考えても子供が考えても、その子供にとっても同じなわけです。所が好きとか嫌いということは一人一人違う。
 それで原因分析も現状認識もその客観的に、いわゆる自分の感情を挟まないで考えるということが、考える要領になるわけです。