法句選 #13(死にあらざるの道)

  『死にあらざるの道』 
死んでゆく道を人は歩み続ける
死にあらざるの道が一方にある
いつかはどちらかを選ぶ時がくる
 はたして死ぬのでない道があるのか
 そんな道があれば求めるだろうか
 心を静めてまずは聞いてみる
釈尊は四十五年も説いて回られた
自らを証明として見せて回られた
死にあらざるの道を見えるものとして

死にあらざるさとりへの道を見ずして、 百年生くるよりは、 死にあらざるさとりへの道を見つつ、 一日生くるがすぐれたり。

[死にあらざるの道] 一般に神仏という時は目に見えないものへの信仰というふうになる。釈尊は一切の苦悩からの解脱を死にあらざるの道とし、自ら体現していわば目に見えるものとされた。何らの不思議でないものとされた。

    『死ぬのでもない永生でもない道が仏教』
 目に見えない神仏を信仰するのは、自分を守って貰いたいという願望から発する事が多い。守って貰ってどうするかまでは考えない。釈尊仏教はそうしたはかなさに気付かせる事から始まる。もっと確実な見える世界を見せる。


https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 仏教