勤労の聖僧 桃水 #17(4修業時代 そのニ)

ところが、前述の如く、人間を教えるということは却々難しいものである。流石に、宗鉄禅師にしても、教える順序を間違えてしまったと見えて、次のような出来事が起った。

 斯くてのち聖僧は15、6才になった。

 少年聖僧桃水は、或る時は、三日間断食をしたり、或る時は、終夜、寺の中庭に立って経咒を誦したり、また或る時は、二、三日も深山に籠っていて、寺に帰ってこなかった。
 田中茂氏は、この逸話に対して、それに就いて、彼の伝記者の一人は優れた考察を加えている。「彼が断食したり、徹夜したりあらゆる冒険を冒して難行苦行を必然的にせざるをえなかったその裏面には深い苦悩があったに違いない。他には打ち明け難い心の痛みと悲しき矛盾とがあったであろう。理想と現実とは天と地との如く距りがある。彼とても偶には現実に直面して己が醜い姿を眺めたこともあろう。凡ゆる矛盾が錯交すればするほど、彼の内なる力は烈しい苦行を彼に課する。外目に彼の精進が苦行と見え難行と映じようとも彼自身は寧ろ凡ゆる烈しい修業や精進がなくては生きていけなかったのである。それほど彼の性格は鈍であった。それ程彼は正直であり真剣そのものであった」=宮崎安右衛門氏著改訂版〔乞食桃水〕62頁=といわれ、次ぎに、田中氏は、『勿論、其処には傲慢に風俗を蔑視しないまでも、まだ隣人への何等の交渉も動きもない、何処か独尊的な匂いすら感じられる。深山幽谷や樹下石上に修業の道場を求めて、描写の世界に悟りの影を追い求めつゝある彼は、自分を世外に隠そうとしているらしく思われた。恐らく彼の然うした態度の何処かに、人に超越した所謂名僧智識たらんとする、子供らしい聖なる野望さえもが秘められていたであろう』と感想を述べておられる。

 私は、上掲の逸話は、聖僧に於ける逸話中最も真実性を持っていると思うが、しかし、この逸話に対する宮崎氏ならびに田中氏の御感想を読むに、両氏共に、聖僧の性格を正確に把握しておられぬようである。その例を多少挙げてみるならば、宮崎氏の場合に於ては、聖僧のことを、純で、正直で、真剣だと観ておられる。

 話はそれるようであろうが、大正2、3年頃の日本の文壇には、トルストイ或はドストキエフスキイなどの作品が輸入せられた結果は、それに影響せられて、人道主義文学なるものが興った。またそれと前後して、宗教文学なるものが興った。その時代の、凡庸で中位な青年にもせよ、善良な青年である限りは、皆、人生に対する悩みを持っていた、純で、正直で、真剣(?)であった。
宮崎氏は、聖僧の性格に於て見ゆる純、正直、真剣を、如上の程度の如きものであるかの如く読者をして感じせしむるが如き匂いや響きのある文章をもって紹介しておられる。宮崎氏は、人の性格ならびに生活に対して考察する場合に、永遠性或いは共通性に着眼するのみで時代の相違に伴って生ずる特殊性ならびに人柄の大小の相違に伴って生ずる特殊性に就いては考えておられぬようである。故に、茲では、聖僧の性格が、大正2、3年頃の宗教文学青年の性格と同室同程度のものとして取扱われている。その点、宮崎氏のご認識が不足している。そして、斯かる認識不足はまだよいとして、宮崎氏は明治以後に於ては、日本第一の、桃水紹介者と観られている方である。人々は、『乞食桃水』といえば、宮崎安右衛門氏を想起し、宮崎安右衛門といえば、『乞食桃水』を想起するであろう。それ程、有名な方であるにも限らず、聖僧の性格の一面に楽天性のあることを見遁しておられる。

 私は、聖僧は真の楽天家でたったと惟う。

 私は、真の楽天家には、この人生に於ては何一つとして悩むべき問題はない。そして、真の楽天家という者は、そのことに就いてさえ悩まないものだと惟う。私の考察に拠っていうならば、上掲の逸話に見ゆるが如き事柄は皆、宗鉄禅師に於て、聖僧の性格に対する把握力のいまだ足りなかったこと、従って、聖僧に対する教育の仕方の順序を過った事から起こったのである。
 というのは禅師は、聖僧の性格を観るに、上掲、宮崎氏の御感想以上には、それを、純、正直、真剣と観ていた人であろうが、禅師は、仏教とはどんなものかをすっかり伝えてしまった後になってから、釈迦の苦行に就いて話せばよかったものを、それを先に話してしまったのである。
 聖僧の性格は、禅師の想像以上のものであった。それは、余りにも至純なものあり、余りにも正直なものであり、また、余りにも真剣なものであった。

 聖僧は、その話を聞くと、じっとしてはいられないような気持ちになった。自分も釈迦の真似をしなければならないような気持ちになった、聖なる苦行をしてみたくて耐らなかっただけの話である。

 本当のことをいえば、宗鉄禅師は、その前に、聖僧に対して、釈迦に於て見ゆる次ぎの言葉を教えて置けばよかったのである。即ち、―
『五欲の中にありて、欲の快楽に耽るは、卑しむべき凡人にして、聖ならず、非義に着せるものなり。また、自ら苦しめて、苦の義を守るものは、苦にして、聖ならず、非義に着せるものなり』

 禅師は、その聖僧の苦行を見て、それもよいことだと思ったが、聖僧に見ゆる余りにも正直な性格に感嘆して、『瘋癲漢』といって、取り合わなかっただけの話である。

 一方、田中氏は、上掲の逸話に於いて見ゆる聖僧の苦行上の心理解剖に就かれて『人に卓越した所謂名僧智識たらんとする子供らしい聖なる野望さえも秘められていたであろう』といっておられる。