三宝法典 第二部 第一二項 四つの果

四つの果 

時に世尊、ワッジー国のウッカーチェーラなるガンジス河の岸辺にとどまり、ビクらに法を説きたまえり。
  
「ビクらよ、かつてマガダの賢き牛飼いは、雨期の最後の月にガンジス河の両岸をしらべて浅瀬をえらび、牛の群れを引き入れたることあり。初め牛の先導者なる牡牛の群れを河に入れ、これらが流れを無事に渡りたれば、次に力強く、よく馴らされたる牝牛を引き入れて、これらが渡りたれば、次に子牛の牡と牝を入れ、最後に弱き子牛も母牛の声にひかされて無事に渡ることを得たり。
 
ビクらよ、かくのごとく、この世界と他の世界をよく知り、魔と死神と神にあらざる領地の内外をよく知る人を耳かたむくるべき人、信ずべき人と思うなれば、そはその人の永き利益、幸福となるなり。
 
たとえば、牛の群れの先導者なる牡牛が、無事に流れを横切りて向う岸に到着なすがごとく、煩悩を滅ぼしつくし、清浄の行をなしとげ、なすべきことをなし終えて重荷をおろし、自分の目的をはたし、存在の原因となる迷いを除き、正しき知恵の見解を開ける覚りの人は、魔の流れを横切りて無事に向う岸に到着せるなり。
 
また力強くよく馴らされたる牝牛が無事に向う岸に到着なすがごとく、この世に人を結びつくる五つの煩悩を滅ぼし、天界に生まれてその世界において覚りに入り、ふただびこの世界に還ることなき人は、向う岸に到着せるなり。
 
また子牛のおすめすが向う岸に到着なすがごとく、三つの煩悩を滅ぼし少なくし、この世界にひとたび還りきたりて苦悩より救わるる人は、向う岸に到着せるなり。
 
次に体力の弱き子牛が向う岸に到着なすがごとく、三つの煩悩を滅ばし少なくし、悪しき所におちず、正覚を得ると定まりて、信仰の流れに入れる人は、向う岸に到着せるなり。

弱き子牛も母牛の声にひかされて向う岸に到着なすがごとく、法に随い、信に随う人も無事に向う岸に到着なすべし。
 
ビクらよ、われはこの世界と他の世界をよく知り、魔と死神と神にあらざる領地の内外をよく知れるものなり。それゆえに、われを耳かたむくるべきもの、信ずべきものと思う人あらば、そはその人の永き利益、幸福となるなり。」
 
かくて世尊は詩を唱えたまえり。

  「この世 かの世      ありさまは
   まこと 智者にて     あかされり
   悪魔 死に神       住めるとも
   また 住まずとも     すべてをば
   正しく知れる       み仏けは
   静けきニバーナに     ゆきつける
   甘露の門を        開きたり
   悪魔の道は        ふさがれて
   わざわいの根は      ぬかれたり
   おんみら 歓喜に     満ちあふれ
   安らぎの地に       いこうべし」


南伝九巻三九〇頁中部第三四牧牛者小経

阿羅漢 Arahant
不還者 Anagamita
一来者 Sakadagamin
預流者 Satapanna
随法行 Dhammanusarin
随信行 Saddhanusarin

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