三宝法典 第二部 第一〇項 むさぼりの苦

 むさぼりの苦

時に世尊、カピラ城外のニグローダ林にとどまりたまえり。シャカ族の王マハーナーマは、世尊のみもとにまいり申しあげたり。
  
「世尊、われは世尊の『むさぼりと怒りと愚痴は心のけがれなり』とのみ教えを了解せるものなれど、しかもなお時おり、これらの煩悩がわが心をとらえるなり。そはいまだ、わが心に捨つべきものの残れるがゆえと思えり。」
  
「マハーナーマよ、まさにしかり。そはむさぼりと怒りと愚痴とがおんみの心のうちに捨てられずして残れるがゆえなり。もしおんみの心のうちに、これらの煩悩が捨てられてあれば、おんみは家庭に住まず、むさぼりの欲をあさり求むることはなし。『むさぼりには味少なく、苦多く、悩み多きものにして、わざわいはさらに多し。」と聖なる弟子にして、正しき知恵によりてかくのごとく知れるも、このむほぼりのほかの幸福に達せず、あるいは他のよりすぐれたるものに至らずば、むさぼりの渦中におちいるなり。正しく知り、むさぼりのほかの幸福、他のすぐれたるに達すればむさぼりの渦中より脱するなり。
 
マハーナーマよ、これわが経験なり。われいまだ覚りを開かざるうちは正しく知れど、むさぼりのほかの幸福、他のすぐれたるに達せざるがゆえに、むさぼりに追われたり。その後、幸福、すぐれたるに達したればむさぼりよりのがれたり。
 
マハーナーマよ、むさぼりの欲の楽しみとは何か。かさばりに五つあり。好ましく心地よき物と声と香りと味と接触なり。これ楽しみと喜びとを生ず。
 
マハーナーマよ、むさぼりのわざわいとは何か。人が種々の生活をなし、暑さ寒さにさらされ、飢えと渇きになやまされ、努力して富を得ず、また努力して富を得るとす。またこの富を守らんがためにさまざまの苦しみを経験なすとす。これむさぼりの欲のわざわいなり。
 
現在の苦しみはすべてむさぼりの欲を因となすなり。マハーナーマよ、むさぼりのために王は王と争い、親子兄弟、友とも争う。これむさぼりのわざわいなり。
 
むさぼりのために、人々は体と言葉と心に悪をつみ重ね、悪のために死後、地獄におちてもろもろの苦を受くるなり。これむさぼりの欲のわざわいにして、未来の苦しみもまたむさぼりの欲を因となすなり。」

南伝九巻一四九頁中部第一四苦蘊小経
六境(色・声・香・昧・触・法)